“山寺”・・参道石段1015段 |
先日、僅かに積もった雪に染まり、さぞ美しかっただろう高畠の「安久津八幡三重の塔」、杉の大木に囲まれ五つの羽根を広げる「羽黒山の五重塔」、断崖絶壁の岩肌に“ひと”の”祈り”が刻まれた東北の霊場山寺立石寺『宝珠山立石寺』などなど、真っ白な雪がその存在の重さと深さを、よりいっそう際立たせてくれる・・私はパソコンのマウスから手を離し、椅子の背もたれに体を横たえ、正面の窓から見える千歳山を暫しじっと見詰めながら、そんな美しさを思い出していた。
先日、私は千歳山ではなく、そんな・・さぞ美しいだろう“山寺”を想像しながら車を走らせ、「山寺芭蕉記念館」のある「風雅の里」に到着。(写真は、私の足元で雪の白さに映える”熊笹”)
最近の好天によって融けてしまったのだろう・・雪のない“山寺”の正面に立った私は、左側に聳え立つ「百丈岩」の真上の「五大堂」・「開山堂」・「納経堂」、それに右側に小さく見える「釈迦堂」のある「釈迦ヶ峰」などをじっと見据えながら、山全体から伝わってくる“霊場”の壮大さを、久しぶりに味わっていた。(冒頭の写真)
いくら千歳山が好きな私でも、たまには気分を変えてこの「山寺」の「奥の院」まで登山・・・というのもいいかも知れないと、1015段の階段を楽しむことにした。
さすがにシーズンオフともなると、いくら“山寺”とはいっても観光客はまばらだ。私は「風雅の里」に車を置き、山寺の登山口に入り「日枝神社」を通り過ぎ、山門をくぐってひたすら石の階段を登り続けた。
この参道石段の勾配が、私には絶妙に心地よく、ちらほらと融け残った雪の白さを感じながら
閑かさや 岩に染み入る蝉の声
という、芭蕉の名句の短冊が埋められたという「蝉塚」にあっというまに到着。夏ならそんな蝉の声と共に、杉の巨木に包まれたこの雄大な自然を楽しめたかもしれない。
最小17センチというその参道石段の両側に聳え立つ岩には、遠い遠い昔から無数の“ひと”の祈りが刻まれた・・・そんな岩肌に、数々の修行者の思いも受け止めながら、暫くして「仁王門」を見上げる絶景ポイントに差し掛かった(右)。
ここからの眺めは、絵の構図として切り取られたりと、「仁王門」の自然に溶け込む優美さが強く伝わってくるポイントでもある。
普段、千歳山登山で鍛えた体は、なんなく
1015段の階段を登りつめ、「奥の院」に到着した。振り返れば、私の視界に広がる壮大な自然とともに、その裾野でひたすら営みを続ける民家が連なる山寺の町が目に焼きつく。
私は、そんな「山寺」の懐に立ちながら、何故か神々しささえ感じる・・・そんな壮大で雄大な風景を、今度は「百丈岩」の岸壁に建つ「五大堂」から眺めていた。(下)
貞観2年には、円仁は当時としては高齢の60歳台。
しかも天台座主の高位にあった。
したがって、この時期に円仁が実際に今の山形県に出向いて立石寺を建立したということは、年齢と地位の両面から、文字通りの史実とは考えがたく、円仁の意を受けた安慧らによって
9世紀半ば頃から徐々に寺観が整えられたとみるのが穏当である。
ネットから・・
この「納経堂」の真下は入定窟(にゅうじょうくつ)という岩石だが、そこには慈覚大使の遺骨?(木彫)が納められ眠っている。