桜は “結界” |
(左、祇園白川の枝垂桜:今日の朝日新聞より)桜をこよなく愛し・・武士を捨てて出家しまさしく如月の2月、桜の元に亡くなった武士・僧侶・歌人である西行。そんな西行の出家後に住んだ京都の勝持寺は「花の寺」と呼ばれると言う。京都の西のはずれにあるその寺には、100本の山桜やソメイヨシノが境内を埋め尽くし、奥の鐘桜のそばには枝垂桜が一本凛として立っていて・・それが室町時代の能楽にある「西行桜」だという。
日本人のサクラ好きは、「平家物語や源氏物語によって平家の滅亡や、源氏の滅亡の歴史の中で徐々に形成されていった固有の心情である・・・」といったようなことを、私は何かで読んだ記憶がある。能楽「西行桜」や、この“滅びの美”といった、桜には「死」のイメージが付きまとうが、国文学者の小川和佑氏は、「桜のテーマは『生きる』であって、美や平和、豊かさの象徴であり、清らかで明るく美しいという日本古代人の宗教観を具現したのが桜なのだ・・・という。小川氏は更に、桜と日本文化は切っても切れない関係ながら、それは観賞用としてだけではなく、奈良時代から桜を家の角に植え、悪霊を寄せ付けない“結界”としたのだともいう。
まるで“ひと”に見て欲しいと願うかのように、その花びらは全て下を向いて咲くというこの「桜」。凛として咲く美しさや、散り行く美しさなど、“ひと”の心の奥底まで響くこの「さくら」を、山形の開花宣言を聞いた今日、これから心いっぱい楽しめるのだと、ソメイヨシノや枝垂桜など、私はいろいろな桜に包まれるのが待ち遠しい!