西蔵王 “大山桜” 満開! |
私は、きっと満開に違いないこの“大山桜”を何とか見たいと、4月最後の30日、私は、仕事を終えた夕方4時半ころから、西蔵王高原ラインへと車を走らせ、西蔵王牧場近くの臨時駐車場に車を止めた。さすがに平日の夕方とあって、県外から訪れた乗用車数台を含め、駐車場には車はまばら。それでも私は、青空が広がる晴天!、西から差し込む太陽の光を受けて、さぞや美しいだろうと、まずは管理棟近くにある“大山桜”の巨木に向ったのだが、だんだん近づくにつれ・・・おやおや!、どうやら二・三日遅かったようで、散り続けた花びらは少し寂しい。ならばと、この牧場の一番上にあるあの巨木へと、私は登山のごとく上へ上へと登り始めた。ところが、牧場のいつもの上り口が閉鎖され、そこには次のような事情を示すこの看板が掲げてあった。
つまり、“大山桜”が年々弱ってきていて、その原因が人の踏圧だと判明したというのだ。人が踏みつけるだけで影響を与えてしまうのか・・と、その繊細だった“大山桜”に、少々驚く。そのために私たちは“大山桜”があちこちに点在する壮大な牧場を登れず、少し離れた道路を登らなれればならなかった。
それでも、その美しさは充分に味わうことが出来、私は、その一番上にある一本の“大山桜”の巨木を目指し、又登り続けた。「あっ!、あれだあれだ・・!」と、一際鮮やかな“大山桜”の巨木が一本、木と木の間から見えてきた。それは近づくごとにその迫力が増して行き、見事な満開の姿を見せている。私は、これ以上近づけない柵の前に立ち、薄紅色に燃える満開の“大山桜”の巨木を、暫くの間堪能した。
それにしても、標高が少し違うだけで、満開の時期がこれほどに違うのかと・・・。
たぐひなき 思いひいではの
桜かな うすくれなゐの
花のにほひは
西行法師
1188年、生涯桜を愛し続けた平安後期の歌人:「西行法師」もこの地を訪れ、“大山桜”の美しさを詠んだその石碑は、残雪の美しい山形蔵王の外輪山、竜(瀧)山を背に、今もひっそりとたたずんでいる。
残雪も美しいそんな龍山をバックに、西日を受け、まさしく“うすくれなゐの”鮮やかなこの“大山桜”・・そのコントラストの・・・何と美しいことか。
5連休初日の今日、登りつめた千歳山山頂の3日前にはまだ蕾だった山桜も、ようやく咲き始めたようだ。