“銀山温泉”と“金髪女将ジニーさん”と建築家“隈 研吾” |
私は、銀山温泉・・と言えば、ちょっと気になっていることがあった。3日に一度は千歳山の登山を続ける私は、その登山道の途中にある稲荷神社に向かって、この健康に感謝しながら手を合わせることも多い。その稲荷神社の正面の壁に貼られたポスターに、銀山温泉の青い目の女将「ジニー」さんの姿をいつも目にし(上の写真:右上のポスター)、彼女は今もまだ銀山温泉に戻ってはいないのだろうか・・・と、このポスターを観る度に思い出していた。久しぶりに、そんな銀山温泉の状況に触れてみたくもなり、車を走らせたのだ。・・・銀山川を中心に、両側を大正ロマン溢れる木造高層建築が立ち並び、ベストアングルに立った私は、「あぁ~・・・いいなぁ~・・!。」と、思わず声を上げていた。そんな銀山の町並みに、白木の格子も一際目立つ、明らかに新しい建築だとわかるこの旅館が、ジニーさんが女将を勤めていた「旅館藤屋」なのだ。(下の写真)
改築後には、客層を一変させるような、一泊35.000円から50.000円を越える料金設定や、その建設費など、どのようなコンセプトの基に、建築家“隈研吾”に依頼されたのかどうかは解らないが、今回の彼女の所在不明と、何らかのかかわりがあるように思えたてならない。その後、完成したこの建築が「銀山温泉の町並みを壊した・・。」という、建設された当初から批判があったのも事実だった。
私は、同じ建築家:“隈研吾”設計による公衆浴場「しろがね湯」に首まで浸かり(左の写真)、窓から見える銀山温泉の町並みを眺めながら、彼女は今何処でどんな生活を続けているのだろうと、着物姿で日本語を流暢に話すあのジニーさんを思い出していた。帰り際、受付のおじさんに、彼女のことを聞いてみたのだが、折りしもちょうどその日、ご主人がジニーさんに会いに、又アメリカに向ったのだ・・・と聞いた。
(右:「しろがね湯」。変形したとても狭い敷地に、うまく建てられているが、旅館藤屋と同じ”隈研吾”独特の手法である外壁の格子は、かなり劣化が進んでいるようだ。)
そんな高級旅館となった「藤屋」の女将、藤ジニーさん(43)は、名門のリンフィールド大(オレゴン州)卒業後の1988年、英語指導助手として山形を訪れ、91年、藤屋7代目と結婚したのだった。2003年の公共広告機構のCMでは、和服姿で登場してからは、「日本人は自分の国の良いところを忘れている」と訴えながら、日常の女将業を抱えうながら子育てに加え“華道”“茶道”、“着付け”など、日本の伝統文化を次々とマスターする・・といった、日本人以上に“日本”を知る女将として、バラエティー番組に出演したり、講演や執筆なども抱えるという多忙を極めていたと聞く。
そして今回のこの改築に、ジニーさんは難色を示していたと話す旅行業界者もいるとも聞いた。