最期の “千利休” |
そこは2畳ほどの土壁に囲まれた狭い空間だが、“にじり口”正面の床の間に飾られた一輪の花や、壁に開けられた幾つかの小さな障子窓が、柔らかく差し込む光と影を生み出し、狭いがとても豊かな空間を作り出している。
明日の命をも知れない武士にとってのこの空間は、まさに別世界だったに違いない。そして、そんな武将たちに「千利休」は、どんな言葉をかけたのだろうか。
無駄なものをそぎ落とし、心地よい緊張感を生み“茶”をもって客人をもてなす究極の空間・・・日本最古の茶室建築:国宝、茶室“待庵”(左の写真:京都山崎、妙喜庵)。この茶室を生み出した“わび茶”(草庵の茶)の完成者として知られる戦国時代に生きた「千利休」。彼は、豊臣秀吉によって切腹を命じられ、1591年4月21日自刃した。享年70歳。
人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛
これは、利休が死の前日に作ったとされる辞世の句なのだが、その意味を探してみれば、
人生ここに七十年。
えい、えい、えい!(忽然と大悟した時に発する声)。
この宝剣で祖仏もわれも、ともに断ち切ろうぞ(まさに、活殺自在の心境)。
私はみずから得具足(上手に使える武器)の一本の太刀を引っさげて、
いま、まさに我が身を天に抛つのだ(いまや、迷いの雲も晴れた、すっきりした心境)。
[中公文庫 利休の死;小松茂美(中央公論社):ネットから]
豊臣秀吉をなぜ怒らせたかはたくさんの説があるようだが、「詫びる」という、”命乞い”を避け、死をもってしても自分の生き様を貫いた「千利休」。表面的な華やかさを否定し、素朴で内面的な質実な美を求めた「利休」と、権力と財力に固執した「豊臣秀吉」とは、もしかすると本質的なところで、あい交えることはなかったのかもしれない。
そんな利休の最期の姿が、昨日のNHK大河ドラマ「天地人」にて描かれていた。