我が家に “初セミ” |
昨日は、日曜日ともあって、「こんにちは~!」と、挨拶の連発。二十人近い人たちとすれ違い挨拶を交わした。それに、10日ぶりとあって、登山道に覆いかぶさる緑も色が濃くなったようにも感じ、何と言っても
10日前には聞こえなかった「ジー~ジー~ジー~」という“蝉”の鳴き声に終始包まれ、体いっぱい夏らしさを感じながらの登山となった。
そして、不安だった私の体力は10日前と全く変わらずに息を切らすこともなく、軽快に山頂にたどり着いた。そして眺めた展望台からの山形の景色は、山の麓の水田の稲が鮮やかで豊かな緑の色を放ち、よりいっそう美しく見えた。(冒頭の写真。)
そんな景色を暫くの間楽しみながら、
「ハッチが開いて草の香りがシャトルに入ってきた時、地球に迎え入れられた気がした。」
と、昨日宇宙から無事帰還して語った、地球の緑豊かな“いのち”を感じさせる“若田さん”のこんな言葉と、何とも素敵な清々しい彼の笑顔を思い出していた。(右:先日の朝日新聞より。)
そして、ふと私の両腕を乗せていた手摺に目をやれば、そこに蝉の抜け殻が一つ乗っているではないか。子供か誰かが乗せた・・のか?、それとも、本当にここで孵化したのか・・は別として、この蝉の抜け殻を見詰めながら、私は何故か、子供のころ網を持って蝉を追いかけていたころの景色を、鮮明に思い出していた。(登山道のところどころで見かけるブナの木の肌は、美しい抽象画のように見えた!。下)
孵化し、その成虫期間は1~2週間ほどと言われているこの蝉の鳴き声に、私はじっと暫くの間耳を傾けていた。
地上に出ると短期間で死んでいくこの“蝉”という生物は、日本古来より無常観を呼び起こさせる・・「もののあはれ」・・の代表だったことを思い出す。「源氏物語」には、この蝉の抜け殻を、“空蝉”(うつせみ)と呼んで、この世に生きている儚い身“現身”(うつしみ)と連して語られた言葉だとも知った。
そんな“空蝉”と呼ばれるほどに儚い命・・と思いきや、幼虫として地下で生きる期間が3~17年(アブラゼミは6年)と、短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをもつのだという。
我が家の網戸にしがみ付き、一生懸命に泣いている蝉を見ながら、私は、”蝉”というこの一つの “いのち”の不思議さを思った。
思えば・・マンション5階の我が家では、以前から、夏になると私の枕元の網戸にしがみ付き・・「ジー~ジー~ジー~」と鳴く音で目が覚めるときもあった。そして、我が家の外壁に止まっていたのだろうか?サッシを開けベランダに足を踏みいれた途端に、私の近くから蝉が飛び立つ姿をよく見かけたりと、我が家に毎年たくさんの蝉が訪れている。梅雨は明けないものの、日々夏らしさが増していく今日このごろ、今朝、網戸で鳴くこの“アブラ蝉”が、今年我が家に訪れた“初セミ”・・となった。