私が子供のころ、生まれ育ったその小さな町の公園に、突如として何やら大きなテントが現れたのだった。それは、“サーカス”・・という特設テントで、まるで夢で見るような世界だった。その時、そこで演技されたのは、バイクの曲芸だったか、それともあの空中ブランコだったか・・その記憶は曖昧だが、幼い子供の私にとって、魅惑的で・・幻想的で、まるで夢の世界を目の当たりにした思いが、今でも脳裏の片隅にしっかりと焼きついている。その後、“サーカス”、という、・・・この言葉の響きと、暗闇のテント空間に繰り広げられる光と音の記憶は、私にとって突出して非日常のありえない世界の夢の記憶となった。(写真は全てネットから)
・・・あれから数十年、そうはたくさんない同じ記憶が、先日、“ポップサーカス”庄内公演で、その魅惑的な記憶が鮮明に蘇った。ちょうど二年前に、仙台にやってきた“スーパーサーカス”と名づけられた「シルク・ドゥ・ソレイユ」『ドラリオン』の、私の中のその感動も記憶に新しいのだが、今思えば、それは“サーカス”・・というイメージを遥かに越えていたためか、その『ドラリオン』によって私の懐かしい記憶がよみがえることは無かった。今回のこの“ポップサーカス” 庄内公演は、まさに私の記憶する“サーカス”そのものだった。
昔から、世界の巨匠のあの「ピカソ」や「ルオー」など、世界中の画家や作家などがこの“サーカス”を被写体や題材にした作品が多いが、それは、 “サーカス”・・という非日常の世界に、“ひと”の心を限りなく引き付けて止まない不思議な魅力があるからなのだろう。そんな“ポップサーカス”が今、山形は庄内で連日観客を魅了し続けている。先日、その薄暗いテント会場には、夏休みとあってたくさんの子どもたちが押しかけ、信じられないだろう・・その世界を待ち受けていた。そして、・・その数々の曲芸に、まさに釘付けとなったその瞳は、感動でみなキラキラと輝いていた。
そして、“サーカス”と言えばなんといっても“空中ブランコ”。“サーカス”テントの上空12メートルを見上げるその光景は、写真やテレビや映画などの画像としての“空中ブランコ”の光景とは、迫力は全く違っていた。下に網が張られているとは言え、まかり間違えば命が危ういこの究極の曲芸!。
この、私たちとはとても同じ人間だとはとても思えない空中で飛び交人たち。“人間”という・・その身体能力は、いったいどこに限界があるのだろうか・・?。
そして、“サーカス”と言えば、この“空中ブランコ”と共に、ちょっとした間をやわらげてくれるこの道化師“クラウン”の存在も欠かせない。
・・・思えば、子供のころの“サーカス”の記憶は、常におどけてみせるこの“クラウン”の存在が大きかったのかも知れない。私は、この驚きと感動ではしゃぐ子供たちの姿も重なって、子供のころの記憶が徐々に徐々に・・まさにその“サーカス”が、私の中で蘇えった。