母なる最上川と・・『真下慶治』 |
名物となったある船頭さんの、独特の節回しで歌い上げる“最上川舟歌”を聞きながら、私が「最上川舟下り」を始めて体験したのは昨年の七月のことだった。その時、最上川の真ん中で雄大な流れに乗り、初めて水面すれすれの視点から観る川最上川の壮大さを、まさに体で感じることが出来た(写真)。
広き野を ながれゆけども 最上川
うみにいるまで にごらざりけり
「山形県民の歌」となり県民から愛されてやまないこの母なる川最上川は、絵に描こうと自分なりのアングルを探し出し、キャンバスを立てた人はたくさんいることだろう。でも、最上川そのものの懐に潜り込み沿岸にアトリエを建ててまで、最上川を生涯描き続けた画家はそうはいないだろう。その人は、山形県戸沢村出身で、16年前79歳でこの世を去った画家『真下慶治』(写真:ネットから)。今からちょうど五年前、まさに彼のアトリエのあったすぐ近くに、最上川芸術村構想の拠点施設として「真下慶治記念美術館」が完成していた。その美術館には、二つの展示棟があり、その間に作られた大きなテラスに立てば、その全ての人たちは、そこから見える雄大な流れの最上川を目の当たりすることになる。そして、知っている・・と思っていた最上川とは違った、自分の知らなかった最上川に魅了されことになるのだ。そして、彼がこの最上川の沿岸にアトリエを建ててまで、最上川を愛し描き続けたその理由が、ほんの少しだけだろう・・わかるような気がしてくる。
そして、四季を通し描き続けた『真下慶治』の最上川の絵の前に立てば、無限にあることだろうその構図の美しさや、一度として同じだったことは無かっただろうその水面の色からは、満々と満ちた最上川のその水の深さまでもが伝わってくる。(絵はネットから)
山形県米沢市の福島県との境にある吾妻山付近に源を発し、庄内は酒田で日本海に注ぐ流路延長229kmと、一つの都府県のみを流域とする河川としては、国内最長で、日本三大急流の一つに数えられるこの「最上川」。かつては舟運の道として利用され、内陸部の紅花や米が、酒田を経て上方に運ばれたこの最上川だが、逆に上方からは雛人形などが運ばれて来たりと・・・。いわば最上川は、山形の文化の源とも言えるのかも知れない。画家「真下慶治」は、絵を通し、私たちに、改めて最上川の魅力を伝えてくれる。
(下は、彼のアトリエのまさに目の前に広がる最上川の絶景ポイント。先日の私のデジカメから)