正しい戦争?・・正義の戦争? |
(左)
でも、それは、子供のとき友と走り回った野の小道の記憶なのか、何時かどこかで出会った感動の”絵”の記憶なのかは定かではない。私の中のそんな懐かしい記憶が、一瞬蘇った。そして、すっかり緑の色が消えた千歳山だが、それでも登山道のすぐ脇には熊笹の上に雪が薄く積もり、そこに時々太陽の光が強く差し込み、緑と白のグラデェーションがとても美しい(下)。
そんな季節になったのか・・と、私は又、何時ものペースで登り始めた。
(左は、印象的だった先日の演説全文から。)
アメリカを含めた過去の戦争も、たくさんの”いのち”を含め奪い取った”もの”と対照的に、いくら歴史を重ねても奪われた側の深い憎悪は決して消えることはなかった。戦争とは、全てとは言わないまでも、少なくとも宗教とからみながら一方の正義だけではなく、"正しいもの"・・同士の、・・正義を振りかざすもの同士の戦争・殺戮だったのではなかったか。正義を振りかざす・・その裏で、正義の!・・正しい戦争?によって・・”いのち”を奪われたものたちは浮かばれない。”戦争”によるそれぞれの大国の思惑など、私なぞには知る由もないが、「オバマ大統領」の世界に向って語る、その”正しい・・”や”正義・・”というこの言葉にどこか違和感を感じながらも、どうか今後のアメリカに・・・、この「ノーベル平和賞」に・・・、決して恥じない言葉であってほしいものだと。
絶対的な正義?とは・・、絶対的に正しい戦争?・・とは、そんな難しいことも少しは考えながら登り続け、山頂展望台に立った。そして、しばし息を整えながら、「よし!・・帰るか!」と、ようやく登山の楽しさを味わえる自分に戻った。
うっすらと雪を被り、まるで水墨画のようだ。