「三りんぼう」・・は、「三隣亡」ではなく「三輪宝」・・! |
一・四・七・十月 亥(い) の日
二・五・八・十一月 寅(とら)の日
三・六・九・十二月 午(うま)の日
と決まっている。
・・ならば、その根拠はともかくも、その日を避けて行えば何も問題は起こらないのだが、それが一年間も続くとなれば、話は違ってくる。それは、亥(い)の日・・なのではなく、亥の年、寅の年、午の年・・といった、十二支のこの3年、つまり、四年に一度、一年間を通し「三りんぼう」なのだという風習が、山形など、ある1部の地域に残っているのだ。建築の仕事をなりわいとする大工さんや私たちのような設計士は、一年間も仕事をせず、「三りんぼう」が通り過ぎるのをひたすら待つ・・などと言えば生活が出来なくなる。・・・ならば、「そんなものは信じない!」と、施主が宣言したとしても、その施主に災いが起こるのではなく、周囲の家々・・つまり、「向こう三軒両隣を滅ぼす」というのだから逃げ場は無い。つまり、自分はともかくも、ご近所には迷惑はかけられないのだから、困った風習なのである。
そもそも、この「三隣亡」とは、何時、誰が決めそうなったのかは何の根拠も無いのだ。歴史的には江戸時代の中期ころから、大安、仏滅、などの六曜と一緒に登場し、特に明治になって大流行したのだという。しかし、当初は三つの“わ”の“たから”、つまり「三輪宝」と書かれていて、今とは全く真逆の「屋立てよし」・「蔵立てよし」という意味だったという。一説によれば、ある年に暦の編者が単なる「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わったのだというのだ。そして後に、「三輪宝」という表現が凶日では都合が悪いために同音である「三隣亡」に書き改められたという。(真偽は不明)。だとしたら、建設業に携わる私たちはたまったものではない。
だからと言って、「向こう三軒両隣」を説得する・・などとは至難の業で、根拠の無いと解っていても、なすすべもなく従っているのが現状なのだ。ただ、一年間仕事をしない訳にはいかず、ご近所さんへの気づかいとして、「三りんぼう」に入る前の年に、あらかじめ「仮り柱」を建てて、前年に家を建て始めたことにし、災いを避ける・・という手段に出るのである。その「三りんぼう」が、旧暦の今年2月の頭に訪れ、一年間続くことになる。私たちは、そろそろ「仮り柱」を建てる期限が迫ってきた・・というわけである。
何時か「三隣亡」が本来の意味である「三輪宝」に戻され、私たち建築に携わる者たちが、いわれの無い風習に振り回されずに仕事が出きる日が来ることを、私は、心から願わずにはいられない。