“名残の雪“~“忘れ雪“~“涅槃雪“ |
パジャマから厚手のズボンにセーター、それに厚手のジャンパーといつた防寒具に着替えた。アイゼンこそ身に付けないものの、先日とはうって変わって、この姿は真冬の登山のいでたちである。そして、我がマンションから出て、あの鳥居のある登山口までおもむろに歩き始めたのだが、この徒歩10分間は、私には準備運動となるのである。それにしても、こうも連日登り続けたくなるのは、四季折々に感動させてくれる千歳山だからなのだが、彼岸も過ぎ、今年はもう雪の千歳山を見ることはないだろうと思っていた。だが、昨日から降り続いた雪が、又、どんな美しい光景を見せてくれるのやら、私は、少しばかりウキウキとした期待感を抑えながら、どぉ~・・れ、今日も登ってみるとするか!・・とばかりに、登山口の鳥居をくぐった。(上は、今日の千歳山山頂付近。)
それにしても、彼岸を過ぎ降り続くこの雪。でも、そんな雪のことを、例えばお釈迦さまの入滅されたという3月15日(陰暦 2月15日)前後に行われる“涅槃会”(ねはんえ)の頃に降る雪を「涅槃雪」と呼ぶといい、、その他にも雪との別れを・・、「終雪」・「雪の果て」・「名残の雪」・「忘れ雪」・・・などと呼ぶともいうのだから、なんとも優しい雪のイメージであろうか・・と。季節はずれに降るこの雪の光景も、そんな風に呼んでみれば、不思議に“こころ“に染み入るものである。私は今日の早朝、・・そんな「忘れ雪」と共に千歳山の懐にいた。