『1Q84』・・果たして「BOOK3」で完結か? |
(これから「BOOK3」を楽しもうとしている人たち、それに、山形市立図書館で私の後に順番を待つ
73人の方たちや、まさに今楽しんでいる方は、私のこのブロクを、今ここで閉じてください。)
1Q84の世界へ踏み込もうとしていたその時、首都高速道路から見えたエッソの看板に描かれていた、虎のその顔の向きが違っている。再会を果した“天吾”と“青豆”の目には、確かに月の姿は一つとなったが、果たして“1Q84”の世界を抜け出し、1984にもどったのか?。それとも、又、別の世界に迷い込んでしまっただけなのか?。私は今、ようやく「BOOK3」の最後の602ページにたどり着いたが、その確信は語られていないのだ。それに、“青豆”の子宮にやどした“小さなもの”はまだ生まれてはいない。・・・果たして“天吾”の子供なのか?。つまり、今後もこの“ものがたりが続いていく事は、充分にありうる。例えば、この三巻で終わるのであれば、(上)・(中)・(下)・・という表現もあっただろうが、あえて“BOOK・3”という、まるで終わりのない数字のようにも見える。それに、何と言っても、602ページの最後の最後に縦書きで、(BOOK3 終わり)と書いてある。つまり、明らかに『1Q84』の終わり・・とは表現していないのだ。やはり、私は想像する!、この“ものがたり”は、明らかに「BOOK4」へと続く、・・いや、もしかすれば1Q84年の、まだ描かれていない時期が存在するのだから、時系列的に見れば、それは、”BOOK・4”でなく、”BOOK・0”に戻るのかも知れない・・が。
もし、私の想像通り、「村上春樹」氏の、“もの”に対する価値観や歴史観・死生観・宗教観・世界観・・といった、壮大な彼の世界が、この『1Q84』によって、もし今後も又続く・・・・のだとすれば、彼はいったい、私たちを何処に連れて行こうとしているのだろうか?。
私は、・・興味は尽きない!
(私の、この“BOOK・3”についての感想の詳細は、機会があれば、後日、又このブロクで。)