建築家:“吉村順三” 最後の作品! |
私が建築を志してから、特に、建築設計事務所を設立し一人独立してからというもの、日本に限らずどれだけの有名建築を見て廻ったことだろうか。英語は話せずお金も無いが、怖さを知らない約30年前の20代から、僅かななけなしの金を叩いては、スペインの建築家「アントニオ・ガウディー」や、フランスは「コルビジェ」など、当時刺激を受けていた建築家の作り出す“建築空間”を肌で感じ続けてきた。勿論興味があったのは国外だけではなく、「丹下健三」・「黒川紀章」・「吉村順三」・「磯崎新」・「安藤忠雄」・・などなど、当時、若き建築家の卵たちを常に牽引していた日本の建築家の作品にも、車や電車を乗り継ぎ、ようやくたどり着いてはその空間を目の当りにしてきた。そんな蓄積が、今の自分の根底にある、その土台の一部であることは間違いない。
何時の頃だったろうか、自分の仕事により近かった存在だったからだろうか?、木造住宅などの小建築も手掛けていた、建築家「吉村順三」に興味を持ち、仲間同士で彼自身の別荘でもある“軽井沢の建築”を見ようと、車を走らせたことがあった(左:日本現代建築家シリーズ:新建築社 より)。いくら建築家の別荘と言えど、個人の別荘とあって明確な場所を示す地図は存在せず、確か人づてに聞いた場所を探し回り、そしてようやくたどり着いたのだった。ところが、びっくり仰天したのは、その時、その別荘の2階で新聞を広げながら読みふけっている・・まさに「吉村順三」本人の姿を見たのだった。休養中に申し訳ないと、私たちはそこそこに退散しようとしたその時、奥様だったかは忘れたが、一人の女性が私たちの姿に気付き1階の外まで出てきてくれたのだった。建築の勉強をしていることを告げると、「吉村が休養しているので中に入れることは出来ないが、どうぞ外回りだけでよかったら・・」と、寛大な心で受け入れてくれたのを今も覚えている。
(上:同美術館ホール)
吉村順三」(1908~1997)東京藝術大学教授に就任。
1990年日本芸術院会員。
日本の伝統とモダニズムの融合を図った。
皇居新宮殿の建設にも関わっている。
彼のこの最後の作品は、確かに私の知る「吉村順三」の建築であり、あの、純粋により魅力的な建築空間を捜し求めていた「吉村順三」は、晩年まで決して枯れてはいなかったのだと、いや、その感性は益々研ぎ澄まされていたのだと・・、私は感動しながら、在りし日の「吉村順三」の、あの笑顔を思い出していた。