至福の時!・・・“うどの一本揚げ“ |
昨日、仕事仲間でもあり、そして“マタギ“でもある大井沢の友人の実家で準備を整えた私たちは、目的の山の近くまで早速車を走らせた。鉛色の空で雨が落ちそうな天気ではあるが、山の中では木々が広げる葉のお陰で、多少の雨は以外に苦にならない。車を降りた私たちは、足には深長靴、腰には「はけご」を結わえ、片手に杖を持ち早速植物が生い茂る山肌の急斜面から登り始めた。
整備された千歳山の登山道とは、その傾斜も状況も全く違うが、さすがに二年以上千歳山登山を続けてきた効果か、“マタギ“の友人に何とか付いて行けるだけの体力だけは付いたようだ。そして、山にもぐりこんだ私には、姿は見えないものの、ブナの大木に刻まれた熊の爪跡や、腰丈ほどの枝に付着した鹿の毛や、遠くで囀る鳥の鳴き声を耳にしながら、今ここに居る私も含め、この山の懐に生きる生きとし生けるものの“いのち“の気配が伝わってくる。そして、様々な緑か入り混じった新鮮な山の香りも、私はどこかで感じながらひたすら登り続けた。
透明感溢れる雪代が流れる小さな沢を横切り、斜面を登り、藪を超え、一時間ほど登り続けると、ようやく山の恵みがちらほらと現れだした。このところの寒さで、数本を除けば、ほとんどの「たらの木」の先に芽を出すのが一週間ほど遅れているようだ。そのことが、逆に「うど」の成長を抑えてくれたようで、こんな見事な「うど」の姿を見ることが出来た(冒頭の写真)。
(下、大井沢の山では、こんなにたくさんの雪がまだ融けずに残っている。)
「たらの芽」・「うど」・「あいこ」・「こしあぷ゛ら」・・などなど、何時もの年よりも遅れているというものの、背中のリュックがずっしりと重く感じるほどにたくさんの春の恵みを得ることが出来た。
私にとっては、この一年に一度だけの至福の時、・・・山の恵みに感謝である。