正しかった・・“演歌登山” |
「・・♪ しらかばぁ~・・あおぞら・み・・な・み・かぜ~・・♪・・」と、私は演歌を口ずさみながらリズム良く登り始めた。何時もよりもすこぶる気分が良かったから・・ではない。息切れせず、疲れず、延々と登り続けられる、夢のような山の登り方を実証しようとしていたのだ。
先日、NHKテレビの「ためして・ガッテン」の番組を見ていると、「80歳近い“マタギ”の人たちは、何故延々と山を登っても疲れないのでしょうか?」から始まったのだ。私は、とても知りたい一心でその番組に噛り付いた。
つまり、“マタギ”の人は登山靴を履かずに、「地下足袋」で山を登る。「地下足袋」は登山靴と違って靴底が薄く、地面を感じながら登るので、自然に小股になるのだそうだ。勿論、“マタギでもない私たちが、「地下足袋」をはいて同じように登れるはずもなく、つまり、「地下足袋」に・・ではなく、”小股“で登ること・・に意味があったのである。ところが、登山靴で足底を守られていると、どうしても大またになり、息が乱れ、疲れてしまうのだそうだ。そこで登場したのが”演歌登山“なのである。つまり、演歌を口ずさみながら登ると、そのリズムと呼吸で自然に小股になるのだという。しかも、呼吸が荒くなれば口ずさめなくなりいつの間にか自然にペース配分をするのだという。
・・・では、ジャズでもロックでもなく、何故演歌なのか?。
登って見ると良くわかるが、あのペースとリズムと呼吸のタイミングは、やっぱり演歌なのである。
でも、山頂までの時間でいろんな演歌を口ずさんだのだが、「・・・♪ あなたと~・越えたい ・・・天城・・越え♪・・」の「天城越え」は、このサビの部分になるとどうも呼吸が乱れ、“演歌登山”には不向きな曲のようである。
私なりの呼吸法を獲得していた私だが、いつの間にか、自然に演歌を口ずさみながら山頂に立っていた。そして、呼吸も疲れも、何時もよりも数段余裕を持っての登頂だったのである。
「ためして・ガッテン」が教えてくれた“演歌登山”は、やはり正しかったのだ。
“演歌登山”のお陰で余裕の体で下山した私だが、アスファルトの帰り道で、又僅かだが雨が落ちはじめた。肌に落ちるその雨は、汗ばみ熱くなった私の体に以外に心地よく、私は、傘を差さずにそのまま濡れて帰った。