新潟県立近代美術館 “モーリス・ユトリロ 展” |
“モーリス・ユトリロ” (1883年 - 1955年)、これほどまでに、偶然によって素直な絵の才能が開花した画家も、そうはいないだろう。母は、「ルノアール」や「ロートレック」のモデルを務めながら、自らも画家であった「シュザンヌ・ヴァラドン」。
ユトリロに、なぜそうさせてしまったのか?・・既に10代にしてアルコールに溺れ、18歳にしてアルコール中毒の治療のために始めたこの“絵”という表現が、むしろ、隠れていた彼の感性を呼び覚ますことになる。その後のユトリロは、72歳の生涯を閉じるまで、絵を描き続けながら入退院を繰り返す。貧困と持病の肺結核に苦しみながらも、大量の飲酒と薬物依存などで知られる、あの画家「モジリアニ」とも、よく絵を売ってはその金で一緒に酒場を飲み歩いたという。目的が治療・・がゆえに、印象派にこそ触れた形跡はあるが、生涯、母にも誰にも影響されることのない画家“ユトリロ”が誕生することになるのである。ただ、ユトリロが、正統な絵画の教育を受けずして、ある一定の評価される作品が描けたのは、母親からの遺伝なのか?、それとも、生涯、誰なのかわからなかった・実父・・なのだろうか。
この時代のユトリロの家庭は実に奇妙である。離婚した実の母親「シュザンヌ・ヴァラドン」の新しい恋人は、ユトリロの年下の友人「アンドレ・ユッテル」だといい、この3人での暮らしが続くことになるのである(左:右から「アンドレ・ユッテル」・「母ヴァラドン」・「モーリス・ユトリロ」1930年頃:図録より)。しかも、母親と父親(友人)は自分たちの派手な生活の為に、息子となったユトリロを自宅に閉じ込め、絵を量産させたという。そこには、ユトリロが、写生にも出られず、絵ハガキから風景を描いたという状況が見えて来る。ユトリロが、1年に600枚以上の傑作を次々と描いたというこの数年は、20代後半の「白の時代」なのである。酒を煽りながらそれに従ったユトリロは、金銭に執着しなかったのだろうか、それとも、僅かなアルコールがあれば良かった・・ということだろうか。
それは、1935年に12歳年上の妻を迎えても同じで、アルコールに溺れていた初期のものの方が一般に評価が高いとあってか、その妻は、「白の時代」に描いた絵をユトリロに模写させたという。
私たちを引き付けてやまない・・人間「ユトリロ」。彼の心身は、確かに生涯病的ではあったが、それに、その作品のほとんどがありふれた街の風景ではあったが、その画面は不思議な詩情と静けさに満ち満ちている。しかも、繊細であり、そして何よりも・・、この人間「ユトリロ」の絵は・・不思議なほどに健康なのである。
(右:生涯を閉じる二年前のユトリロ70歳。図録から。)