“犯罪”・と・“償い”について |
それというのも・・・、
9月に入れども、うだるような暑さが続いていたが、今日の早朝、ベランタに出てみれば、珍しくも懐かしいと思うほどの“涼しさ”を感じた。そんな、過ごしやすい陽気を感じながら、仕事を終えて、昼過ぎに自宅に戻った私は、早速ショートパンツとTシャツに着替え、こんな日はと、私は迷わず千歳山へと向かった。
そして、何時ものように、ひたすら自分の足元だけを眺めながら、トツトツ・トツトツと何時ものペースで登り続け、そして登山道を折り返そうと、ふと視線を正面に向けようとした・・・その瞬間!、「あっ・・!びっくりしたぁ~・・!」と、私は思わず声を上げてしまった。そこには、気配すら感じ取れなかった上下共白いジャージを着た中年の女性が、私のすぐ目の前にすっと立ちつくしているではないか。「ゴメンナサイ!、驚かしてしまったようで・・!」と言われ、私は、「いえ、こちらこそ・・・、ちょっと考え事をしていたものですから・・・」と、二人言葉を交わしすれ違った。私はその後も、何時ものような五感を研ぎ澄ますことも無く、その”考え事”をひたすら続けながら登っていたら、又も木の根に足を引っ掛けてしまった・・というわけである。
その考え事とは・・・・
それは、こともあろうに、人が人を合法的に殺すことが出きる、“死刑”という制度についてだったのである。私は、この“死刑”という言葉の響き自体にも、以前から、どこか釈然としない後味の悪さを感じていた。
“宗教”や“哲学”、更に“社会感情”までもが複雑に絡みあう重いテーマではあるが、平成21年5月には「裁判員制度」が始まり、私たち庶民と言えど避けては通れないこの極刑である“死刑”について、私は、考えずにはいられなかった。
〇 “死刑”と“冤罪”について・・・。
〇 憲法第36条、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」・・について。
〇 家族を殺された遺族の、「八つ裂きにしたい・・!」・・という感情について・・・。
〇 ドキュメンタリー映画で観た、実際の処刑の映像が蘇り・・そのおぞましさについて。
〇 “終身刑”と“償い”について・・・。
〇 他の処刑、「電気椅子」・「ガス室」・「薬殺」・「銃殺」について・・・。
〇 1968年の大島渚監督による映画、『絞死刑』に見る処刑場の構造について・・・。
〇 “死刑”という制度の、犯罪抑止について・・・又その概念について。
〇 人道上の“処刑”・・ということについて・・・。
〇 「死刑になりたかった!」と言って、人を殺す犯罪について・・・。
〇 ”罪”と”罰”に対する世界の流れについて・・・。
〇 社会構造の”ひずみ”と犯罪について・・・。
・・・・などなど
私は、たいそうなことを並べ立てながら、どれ一つ取っても私なぞに理論的な答えを出せるはずもなく、かといって、釈然としない後味の悪さをそのままにも出来ず・・。ならば、私がこれまでに蓄積してきた“もの”を駆使し、”死刑”制度を含めた“犯罪”と“償い”について、私なりに見えてきた“もの”を少しでも整理してみようと思ったのである。(後日ブログで。)
でも、登山道で中年の女性と鉢合わせをしたり、木の根に足を取られながら考えることだったろうかと。登山は登山!。やはり、何時ものように、千歳山の懐に潜り込んだ時は“五感”を研ぎ澄まし、日々僅かに変わり行く季節を感じ、そして楽しみながらの登山が一番である。
不覚にも、私の左足は今、ちょっぴりだけ・・ヒリヒリと痛い!。