新聞を読む時間やブログを書く余裕もなく、ひたすら通い詰めた公演会場。舞台美術担当の私は、そのステージで、予定通り組みあがった舞台装置を眺めながら、最後の仕上げに入る。つまり、壁には絵を、床には壷や緑を配しながら、全体のバランスを取り、更に生活感をかもし出し、まさに生きた舞台装置を完成させていくのである。その作業は、観客がホールに訪れる直前まで続く。
なだらかな稜線によって描かれた山並みや、大小さまざまな隣家の姿を描いたこんな平面的な”書割”も、客席には、奥行きをと立体感を感じさせる。(下)そして、ようやく完成した開演直前の舞台はようやく静まり返った。そして、楽屋近くのローカの隅でひたすら発声練習を続ける者。舞台の袖の小さな空間で目を閉じ、心を落ち着かせようとしている者。ホリゾントの陰で落ち着かなさそうに行ったり来たりしながら、セリフを呟いている者など、キャストたちが思い思いの方法で、これから演じようとする役柄に身と心を創り上げていく。衣装や小道具担当のスタッフたちも最後の点検を済ませた。そして、誰も居ないシーンと静まり返った舞台には、目に見えない緊張感が漂う。間もなくして、徐々に客席の照明が落ち、音楽が流れ、大きく重い緞帳が静かな唸りを上げながら・・・舞台の幕が上がった。
ステージの袖に作られた階段の上では、役者が一人出番を待つ。
600席のアズ七日町大ホールは、昼と夜のどちらの公演も、寂しさを感じさせないほどに観客で埋め尽くされ、合わせて600を超える観客が足を運んでくれたのである。その集客力は、衰えるどころか、45歳となった我が「劇団山形」だからこそ、益々しっかりと観客の心を捉え続けているのだ。
楽屋には、旧団員や友人知人などが駆けつけ、何時ものこと、テーブルの上は差し入れなどでいっぱいになる。
私たちの演じた、様々な“愛”の“カタチ”が表現された『銀色の狂騒曲』は、先日、鳴り止まない観客の大きな拍手に包まれ、幕を閉じた。この芝居を通して観客に伝えたい大事な“もの”が、しっかりと伝わった瞬間でもある。そして、この公演に関わった団員一人一人の心に秘めた僅かな不安は全て消え去り、代わりに充実感となし終えた感動に包まれる。
幕が閉じた瞬間から舞台装置をばらしはじめ、ステージの上は何もない元の形にもどった。そして、疲れた体を引きづりなが、ようやくたどり着いた稽古場で、深夜まで打ち上げが続いたのは言うまでもない。
そんな緊張感から開放された私は、幕を閉じてから2日経った今も、疲れ果て、ミシミシする体を引きづりながら・・・、でもその感動の余韻はまだまだ消えない。
だから芝居は止められない!・・・のである。