ペンの“チカラ”・・・ネットの“チカラ” |
国内では、角界の八百長騒ぎだが、日曜日の朝日新聞は、第一面二面共エジプトの「ムバラク大統領」が、ついに辞任に追い込まれた記事で埋め尽くされている。総資産は数兆円という「ムバラク大統領」は、亡命こそ無かったものの家族とともに紅海に面したリゾート地に移ったのだそうだ。長期独裁の末路に訪れた逃避行。チュニジアに続き、ネットを媒体にして広がった市民のデモによる崩壊である。(上:カイロのタハリール広場で11日、ムバラク大統領の退陣に沸く市民たち。日曜日の朝日新聞第一面より。下はその第二面より。)
更に“デモ”・・と言えば、1989年に起きた「天安門事件」を思い出す。「胡耀邦」の死をきっかに、民主化を求めて集結した学生や一般市民のデモ隊に対し、「中国人民解放軍」が武力で弾圧。市民に向けた無差別発砲などで多くの犠牲者を出した。言論の自由・表現の自由・・といった民主化を叫ぶ同じ国民を、武力・・という、まさに力ずくで押さえこんだ事件である。あの「ウイグル自治区」の暴動での武力による鎮圧や、「チベット」に対する武力による侵攻などなど・・・。
だが、中東のこの革命の連鎖は、米国ネット検索大手「グーグル」を締め出したこの「中国」や、三代に渡って独裁を決め込んでいる「北朝鮮」だけは永遠に巻き込まれない・・などと、誰が言い切れるだろうか。
「ペンは剣よりも強し」・・ということなのだろう、中東の革命の連鎖!。政治家のように、権力で何かを動かすことよりも、最もダイナミックな変革を実現するには、場合によっては“ペンの力”・・、“言葉の力”、つまり、言い換えれば・・・“ネットの力”ということなのかも知れない。
(逆に、この破壊力のある「ペンの暴力」・・「ネットの暴力」という側面も忘れてはならない・・のだが。)
・・・それとは別に、話は変って・・・
エジプトの、エネルギー溢れる市民たちの姿を見るときに、先日、読み終えたばかりの「柳 美里」著:『ゴールドラッシュ』の、とても印象深かった一行を思い出す。
「・・・核兵器よりも怖いのは、生きる根拠を失うことだ。・・・」
私は、確かにそうだと思った。「生きる根拠を失うこと」・・これこそが最も怖い!。だが、更に“核”と言えば何故か、滅茶苦茶に面白かった1979年の映画を思い出す。「長谷川和彦」監督によるアクション映画、『太陽を盗んだ男』だ。主人公の「城戸誠」をあの「沢田研二」が主演、その、たった一人の人間による原子爆弾製造により、国そのものが揺さぶられるのである。今や“核”の脅威は、目に見えない国境を防護幕にしてにらみ合う「国 対 国」・・ではなく、「9.11」のような「国 対 テロ(個人)」なのだ・・・と思えば、“核”の意味やその脅威は全く変ってしまう。
時として、国と国が戦争にならないための抑止力なのだという“核”。だが、この映画のように“核”が個人で作れるものなのかはわからないが、この奇跡の地球にそんな時代が永遠に訪れないことを、私は、心からそう願うばかりである。(上:ネットから)