え・・!、怖さの限界を超える・・“地震” |
と流れた。地震の揺れは全く感じていない運転中の私は、指示通りに車を停車させた。・・と、その途端!、車は、まるで小船に乗り波にゆらゆら漂っているがごとくに、体験したことの無い大きな揺れが続いた。何という・・揺れか!、そして信じがたいほどに何時までも止まらない。目の前で信じがたい揺れ方をする大きな電柱を見上げながら、怖さが限界を超える!。何と、震度5強というその地震は三分間に渡り揺れ続いた。これはただ事ではないと、車は自宅マンションに逆戻り。幹線道である国道13号線沿いの建物は全て電気が消え、交差点の信号も全く機能せず、何とかお互いに譲り合いながらようやく自宅に到着。鉄筋コンクリート7階建の我がマンションをおもむろに見上げながら、目立った亀裂がないことに安堵。そしてロビーに駆け寄れば、住民数人が集まり出していて、ライフラインの電気と水道が使えない状態だという。そこで私たちは、まずは各階の入居者の安全を確認しあうことからはじめた。
それからというもの、管理人さんを含め私たち同じ住民同士、日頃の結束を発揮しはじめる。皆、ロビーで一緒に暖をとるための「乾電池式石油ストーブ」の調達に走るもの、燃料の灯油や飲み水の持ち寄りと、私たちは自主的に動き始めた。時間が過ぎ、段々と暗くなり始めるも、私たちは、ロビーで蝋燭と、一個の小さな「乾電池式ラジオ」を取り囲むように腰を降ろし、その音声だけの情報に耳を傾け続けた。時々携帯のワンセグを覗きながら、その・・・信じられない被害状況に皆唖全!。
そして、新聞の届かない(朝日新聞)今朝になって、ようやく電気が復旧、同時に水道が戻った。でも、山形県はまだ2割ほどだといい、テレビは電波元のケーブルテレビ会社が今だに復旧せず、今もワンセグの小さな画像の情報に釘付けである。携帯電話は相変らず繫がらないものの、自宅の電話で身内の安全だけは確認が出来た。でも、仙台在住の友人とは未だに連絡が取れず・・・。そして、僅かに電気の復旧した地域のスーパーが今朝から営業し始め、そのレジには大勢の人が列を作った。(下:一つのレジに数十人が並ぶ。)