昨日夜11時半近く、ちょうど寝床にもぐりこもうとしていたその時、どこか不気味に軋む音とド・ドン・・という今まで感じたことの無い縦に揺れる余震を感じた・・かと思ったら、同時に周期の短い激しい横揺れが襲ってきた!。私は思わず立ち上がり、近くの本棚を両手で支えた。これが余震なのかよぉ~?・・と、3.11の本震とさほど変らない大きな地震、何時になったら納まるのか・・・?。それは一分ちょっとの揺れだったというが、私にはとてつもなく長く感じた。そして昨日は夜中、グラグラ揺れている途中に電気が止まり真っ暗になった。・・ふと、あの3.11の本震と大津波が、この真っ暗な深夜に襲っていたら・・と、改めてその恐怖が蘇ってくる。
ようやく揺れも納まり、本震の後に準備しておいた懐中電灯と蝋燭を取り出し、とりあえず動き回れる灯りを確保。そして、ここはマンション。おもむろにロビーに出てみれば、驚いた入居者が数人、本震の時のように又集まっていた。
(ロビーに出ようと廊下に飛び出した私の正面には、停電で真っ暗な中に、全館、非常用照明が煌々と灯る誰もいない「自治会館」の姿が見えた。その姿に、私は、何故か底知れない不気味さを感じた。)
でも、その表情は驚くほど落ち着いている。恐怖には変りはないが、一度経験して得た強さなのかもしれない。そして、ようやく電気が戻った今朝、ニュースでは山形は震度5弱だというが、我が家はマンションの5階。震度は、プラス1は大きく感じた。
本震から四週間が過ぎ、ようやく復旧も進み、被災者は気持を立て直し僅かに希望も見え始めていた矢先のこの巨大余震。再度襲ったこの余震による被害はどれほどかはわからないが、・・・復興に向けたその心の芯が折れてしまわないかと案ずるばかりである。
私は又、ふと、「福島第一原発」を思い出していた。命を懸けて懸命の復旧に取り組むたくさんの人たちに、更なる危険が襲っていないものか・・、この揺れで又放射能が飛び出しはしないか・・と。
そんなことを思いながら、私は今日も千歳山に潜り込む。そして暫し立ち止まり、下界から響き渡る選挙カーの連呼する声を聞きながら、鉛色の空の遠くを眺めていた(上)。これから先もずっと、自然はただあるがままに変化する・・のだろうけれど、その地表にしがみ付いて生きる私たちには・・あまりにも過酷だ!。聞けば、普通なら、余震も一ヶ月近くで納まるというが、この度のマグニチュード9.0という大きさは、2~3ヶ月は又余震におびえなければならないのだという。次から次に襲われ続ける被災者が、歯を食いしばりながら耐える姿を見つめるとき、又、何時もの様な、平穏な生活が一日も早く戻ってほしいものだと、心から願うばかりである。