『金色堂』を包み隠す「覆堂」の・・・“カタチ”? |
先日、久しぶりに訪れた中尊寺の「金色堂」。勿論、その姿は1965年建設の鉄筋コンクリートで造られた「覆堂」(おおいどう)内にあり、ガラスケースごしでなければ見ることは出来ず、「金閣寺」とは大分違った印象を受ける。
今から900年前の平安時代後期(天治元年1124年)に完成したというこの「金色堂」は、当初から木造の覆堂に覆われていたというが、完成した直後の約50年間だけは、覆堂はなく森の中にたたずんでいたのだと知った。覆堂の中ではないそんな「金色堂」は、凛として立ち続ける杉の巨木の足元で、その深い緑に囲まれながら、たった9坪ほどと小さいが、圧倒的な存在感を持ってたたずむ姿はどれほどに美しく見えたことだろうか!。その姿を垣間見ることが出来たのは、建立者である「藤原清衡」のほかにはほんの僅かな人たちだったに違いない。私は先日、ガラスごしの「金色堂」の正面に立って(下:ネットから)そんな光景を想像していた。
建立以来昭和37年から7年間にわたって始めて行なわれたという解体修理工事も終わった。そして今年、晴れて世界遺産に指定されたこの平泉。世界の人たちに見て欲しいこの「金色堂}・・・なればこそ、この「覆堂」という存在は、ただ雨雪から守るだけが目的ではないはずである。その必要性やその“カタチ”も含め、「藤原清衡」が体感したかったその光景に少しでも近づくことが出来ないものか?、ミイラ化した遺体の保全と共に、是非、違った“カタチ”の管理のあり方を探って欲しいものである。