“俵屋宗達”の100年後に“尾形光琳”が、そしてその又100年後に“酒井抱一”が描き残した、時代を超えて受け継がれてきたあの『風神雷神図』。そして、“酒井抱一”から約180年経った今、又、三人目としてあの『風神雷神図』を見事に受け継いでみせた芸術家がいた。号は”小蘭”と称し、書家だった母親から五歳にして手ほどきを受け、書家の道を歩み続けた「金澤翔子」。彼女は、24歳にして、あの『風神雷神図』を受け、まさに“尾形光琳”や“酒井抱一”のように、“書”という藝術において見事に『風神雷神図』を描いて見せたのである(下)。
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“100年ごとの・・『風神雷神図屏風』”もどうぞ。)
私は先日、そんな才能溢れる彼女の作品で埋め尽くされた『金澤翔子美術館』を訪ねてみた(上)。
10歳にして書き上げた「般若心経」に驚嘆しながらも、そのすべての書において、迷いのない力強い筆跡と、基本を得とくしたからこそ崩して見せた、その芸術的な絵のような書の姿に圧倒され続けた。
今年の1月に開設されたばかりのこの美術館。彼女の才能に感動し、全国各地からオファーがあったという美術館構想は、東日本大震災の復興を願い、彼女自身が福島県いわき市を選んだのだという。
『金澤翔子美術館』のリーフレット(上)の“ごあいさつ”の中で
、「金澤翔子はダウン症という天与の宇宙を持って書の道を歩んでいます。」・・という、そんな母の言葉が、私の心に深く残った。母親は、我が子と共に死のうとも考えたこともあったといい、夫の熱心な想いと遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を見て思いとどまったという。
彼女の代表作のあの『風神雷神図』は、2009年の11月、京都の「建仁寺」にて、あの国宝「俵屋 宗達」の「風神雷神図」の隣に展示されたという(下)。
その後も、書家として名を知られるようになった彼女は、現在放映中のあの“NHK大河ドラマ”『平清盛』の題字をも担当ている(下)。