何故・・“白馬”・・が現れたのか? |
彼自身が語っているように・・・、
「私が好んで描くのは、人跡未踏といった景観ではなく、人間の息吹きがどこかに感じられる風景が多い。しかし、、私の風景の中に人物がでてくることは、まず無いといってもよい。その理由の一つは、私の描くのは人間の心の象徴としての風景であり、風景自体が人間の心を語っているからである。(図録より。)
つまり、1955年~1971年までの「東山魁夷」の描いた、私たちに印象的なあの青緑色に輝く風景画には、一切の人物・・どころか動物も一切描かれることは無かった。それは、彼の言う「風景自体が人間の心を語っている・・」からにほかならない。
私には、それまでの「東山魁夷」が見事に捕らえた自然の雄大さと美しさ・・といったものとは違い、メルヘン的な要素が加わり、観る者の”こころ”に”何か”が意識的に語りかけてくるようである。それは何故・・なのだろうかと、私は彼の言葉を捜してみた。
「ある時、一頭の白い馬が、私の風景の中に、ためらいながら、小さく姿を見せた。すると、その年(1972年)に描いた18点の風景の全てに、小さな白い馬が現れたのである。白い馬は、たとえ協奏曲ならば、独奏楽器による主題であり、その変奏である。協奏する相手のオーケストラは、ここでは風景である。白い馬は風景の中を、自由に歩き、佇み、緩やかに走る。しかし、いつも、ひそやかに遠くの方に見える場合が多く、決して、前面に大きく現れることはない。この小さな白い馬の出現は、私にとって思いがけないことである。一切の点景を排した風景を描き続けてきた私であるし、人もそれを私の特色と思っているに違いない。」図録より。
“ここに描かれた白い馬も、森の木立ちも、現実なものではなく、私の空想から生まれたものです。さて、この馬は何を表しているのかと、時々、人から聞かれたことがあります。私は「白い馬は私の心の祈りです。」と答えるだけで、見る人の想像にまかせてきました。。”『東山魁夷館所蔵作品集』 信濃毎日新聞社。
それ以上に、白馬の存在を説明出きる言葉は見つからなかった。つまり、この『白馬の森』を描いた63歳にして、彼にはそれまで見えなかった・・・”何か”が初めて見えたに違いないが、彼はそれをあえて語らなかったのかも知れない。
「見る人の想像にまかせてきました。」と語るように、よく考えてみれば、それは”当たり前”のこと・・だったのである。何故ならば、絵や彫刻に限らず、映画や小説までもが、それに出合った人がどう感じたか・・に他ならないいからである。つまり、作者の解説よりも、その絵と対面した時の自分の心が感じる”モノ”を何よりも大事にしなければならないからである。
「花は散ることによって命の輝きを示すものりである。花を美しいと思う心の底には、お互いの生命をいつくしみ、地上での短い存在の間に巡りあった喜びが、無意識のうちにも、感じられているに違いない。」(図録より。)
(「宮城県美術館」で催されているこの『東山魁夷:展』は、今日が最終日となった。)