先日、私はあの「悲劇の大川小学校」の校舎の前に立った。あれから三週間近く過ぎたというのに、いまだその時のショックから立ち直れない私だが、あの3.11の大震災から既に二年が過ぎようとしている。もう二年・・なのか、まだ二年・・なのかは人それそれなのだろう。そんな地震や想定出来なかった大津波だが、今度は宇宙規模の、更に人間の“チカラ”の及ばぬ事態が又起きた。
15日の午前、ロシア・ウラル地方に隕石が飛来し上空で爆発。その衝撃波で家屋のガラスや屋根が壊れ、約千人が怪我をし、約三千の建物が被害を受けたという。それは、重さ1万トン、秒速15~20キロの速さで隕石が大気圏に突入し爆発したと言うのである。そんな予測出来ない、避けようにも避けられない自然の猛威を潜り抜け、私たちが何とか“生き延びる“には、ただひたすら良い意味での”偶然“を願うしか手段は無さそうである。
・・と言うのに、訳の分からないテロとやらで人間自らが人間を殺し、ある国では自らを滅ぼそうとする大量破壊兵器“核”の実験を行った・・と言うのだから、人間は何時までも・・何処までも愚かで哀れ・・である。・・こんな小さな奇跡の星”地球”にしがみ付きながら!。
ダイナミックなスケールで坦々と動き続けている地球や目に見えない・・宇宙。あの隕石が、もう少しでも大きかったら・・と思うと、その惨状は想像を超え、それは現実に起こりうるのだろう?・・と。
そして不安は増す。あの”原発”は、テロや隕石を無視しても良いのだろうか・・と。
私は今日千歳山の山頂に立ち、抜けるような雲一つ無い青空を見上げながら、今ここに偶然に生かされている“いのち”を思い、この一つ一つの限りある“いのち”を繋ぎ合わせながら、これまでも延々とそうしてきように、この先も、何時までも何処までも、人はどうあろうとも“生き続ける”ことになるのだろうと。
眩し過ぎる雪の白さに目を細めながら、登山道を行き交う人々に、「・・こんにちは!。」と、私は今日、何故か何時もよりも大きな声で挨拶を交わした。