"それでもボクはやってない" |
今日は、映画の話題を・・・。
1996年「SHALLWEダンス」において、日本アカデミー賞を独占。
監督賞と脚本賞を受賞し映画界で監督としてその力が認められた 周防正行 監督。
10年ぶりの作品だというこの映画 『それでもボクはやってない』
山形の香澄町にあるフォーラムで鑑賞してきました。
以前 『しこふんじゃつた』 や 『SHALLWEダンス』 では
当時、とても新鮮な映画として楽しませてくれました。
“相撲”や“社交ダンス”や今回の“裁判”といった
かつての映画監督 故“伊丹十三”の、『お葬式』や『マルサの女』などのような
一点を見据えて掘り下げてゆく彼のその方法とよく似ている感じがします。
思えば“周防監督”は、『マルサの女』の撮影現場を追ったオリジナルメイキングビデオ
1987『マルサの女をマルサする』や
1988『マルサの女2をマルサする』(演出・構成・一部撮影を担当)などを
制作しているわけだから、“小津安二郎”を尊敬しているという彼ではあるが
その手法において“伊丹十三”にも影響を受けたのではないだろうか。
そして『それでもボクはやってない』・・・・あっという間の二時間半
私は、大分前に、わけあって実際に裁判を傍聴した事がありました。
忘れていたその時の雰囲気が蘇って来ます。
裁判室内のそのカメラアングルと、裁判が厳粛な中でテンポ良く展開していく小気味よさに
思わず引き付けられていました。
この映画、監督が地道に取材を重ね、人が人を裁く難しさや人の真実を見極めるあやうさなど
2009年に“裁判員制度”が開始される事も当然見据え
その日本の裁判制度へ疑問を投げかける・・・そんな作品でした。
見終わった後に
いつの間にか、スクリーンの中で自分がすっかり傍聴人になったり
弁護士や検察官になっていたりと
周防監督の意図するその真実を見極める“あやうさ”に、自分も知らず知らずに
巻き込まれていることに気づきます。
そして自分も無意識に先入観といった思い込みの判断で、もしかすると人の人生を
狂わせてしまうかも知れない・・・・という怖さを感じさせるのです。
この“痴漢免罪”・・・逆に 「やりました・・。」と
たとえば・・嘘をついたほうが留置という“罰“が軽くなる・・・・という矛盾!
そして、
人を裁くためだけに教育されてきた“裁判官”のその信頼性について疑問を持った時
日本の裁判制度そのものが揺らいでしまう、そんなあやうさを感じさせる映画でした。
これまでの“冤罪事件”がどうして生まれたのか、時代が違っていても
その過程がよくわかります。
この映画、人間味溢れる弁護士役の“役所広司”が、その素晴らしい演技力で
各場面をキリッと引き締めていました。
写真は役所広司と周防正行監督(ネットから)
周防監督のそのすました顔が・・・おかしい!
それにも増して、起訴されてしまう徹平を演じた“加瀬亮”は
裁判というシステムの中で翻弄されていく頼りなげな弱さと芯の強さを
あわせ持つ若者を、繊細な演技で見事に演じて見せました。
私は、すばらしい役者だと思いました。
クリント・イーストウッド監督作品 『硫黄島からの手紙』 でも
若き才能としてその演技力が注目されているようです。
映画としての感動というよりは、別な意味でドキュメンタリー的な感覚で観てしまうこの作品。
むしろ、弁護士や検察官や裁判官にも客観的な視点で是非鑑賞していただき
日本の裁判制度の問題点の解決のために・・・などと思ってしまいます。
周防監督は、元東京高裁判事 木谷明氏の著書「刑事裁判の心」を読んで感動し、
同氏に協力を求めその監修の下にこの映画は製作されたのだそうです。(ネットから)
これまで7本しか撮っていない監督のこの注目度の確率はすごいと思います。
フォーラムで「あなたは有罪・無罪」というアンケートとして渡されたこの用紙に
書き込もうとした時、一瞬戸惑ってしまう自分がありました。
一般市民が「人が人を裁く」 という、2009年の“裁判員制度”が
罪と罰!・・・・はたしてこの制度で人の心を見極める事が出来るのか?
突然ですが
周防監督が「shallwe ダンス」で射止めた奥様である
バレリーナ“草刈民代”の
映画にも通じそうな軽いけど面白い文章を見つけたので最後に紹介。
バレエを観るのに予備知識はいらない。
誰もが持っている自分の感性という「ものさし」で
じゅうぶん分かるはずだ
と信じている。
さまざまな「ものさし」を持っている人の
目に触れることでバレエそのものが磨かれ
踊り手である私を新しい世界へ導いてゆく。
彼女のホームページから