聖書 “コリント人への手紙” |
最近は、私の年代がそうなのだろうが、めっきり葬式が多くなった。
そんな中、4月7日(土)の昨日、山形市の 「パレスグランデール」 で、久しぶりに
私の甥の結婚式があった。
新婦の友人のドレスや着物姿、華やかで厳かな独特の雰囲気を久しいぶりに味わった。
27才となった新郎の甥は、子供の時のやんちゃで無邪気な印象が深く
いつの間にかタキシードの似合う大人になっていた事に驚き、その時間の早さも痛感した。
そしてまずは親族の紹介が行われた。
親族の出席者は双方とも、20人前後。
昨日まで無縁な赤の他人だった人達が、この結婚を通して親族同士が一同に対面するのですから、人の営みや出会い・・・は不思議なものです。
ほどよくして、この館内にあるチャペル 「エルシオン」 にて結婚式。
十字架と分厚い聖書を前にして、この独特で厳かな雰囲気に包まれた。
奏楽と共に、バージンロードをエスコートする父親の、娘に対する複雑ないろんな思いが
真っ白なジュータンをゆっくり進むその二人の無言の後姿から、言葉以上に伝わってきた。
映画やテレビドラマで何度も見ていたはずのこの光景だか、実際にそこに立つと
新たに感じる新鮮さと感動があった。
そして参列者も一同合唱
あの・・・・賛美歌 312番
1) いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪とが憂いを とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まずのべて、
などかは下さぬ 負える重荷を。
2) いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りにこたえて 慰めたまわん。
「星の世界」というタイトルでも知られているこの賛美歌、
メロディーは知っていても、深く・・そして万人が救われるこの歌詞の意味を
改めて、何度も読み返して味わってみた。
思えば、ここまで生きてきた間に、どれだけの結婚式に参列してきた事か。
神前式・・、仏前式・・、人前式・・、そして教会で。
いろんな感動があった結婚式の中でも、圧倒的に印象深かったのは
お寺の本堂で行われた、仏前での結婚式だった。
親の存在、そして命を授かり限りなく続いてきた「ご先祖様」があればこそ
自分達が存在し、結婚が出来たのだという先祖への感謝を込め
その仏前に報告したい・・・という二人の熱い思いからだった。
線香や焼香や、住職の読経や説教も葬式と同じ雰囲気ではあるが、違和感は全くなかった。
むしろ、この”結婚式”という深い意味が伝わり、とても印象的だった。
そしてあの、奥ゆかしい新婦の 「綿帽子」 姿に感動し、その光景は
今でも鮮明に思い出す事が出来る。
綿帽子(わたぼうし)
角隠しや綿帽子、形は異なっていても格はどちらも同じ。
花嫁やまわりの方の意見で自由に選べます。
綿帽子は室町時代末期に老女の防寒用として生まれ
寛文期(1661年~1672年)末頃には真綿で作った帽子が
若い女性にも定着しました。
花嫁には古来、結婚相手以外の男性に顔を見せない風習がありましたが
頭も顔もすっぽりと隠せる綿帽子は花嫁に最適のかぶり物だったのです。
(ネットから)
賛美歌の合唱から間を置かず、次は牧師の聖書朗読
1) たとい、私が人の異言や、
御使いの異言で話しても、
愛がないなら、やかましいどらや、
うるさいシンバルと同じです。
2) また、たとい私が
預言の賜物を持っており、
また、あらゆる奥義と
あらゆる知識とに通じ、
また、山を動かすほどの
完全な信仰を持っていても、
愛がないなら、何の値うちもありません。
3) また、たとい私が持っている物の全部を
貧しい人たちに分け与え、
また私のからだを
焼かれるために渡しても、
愛がなければ、何の役にも立ちません。
4) 愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
5) 礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、
6) 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7) すべてをがまんし、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
8) 愛は決して絶えることがありません。
(中略)
13) こういうわけで、いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
聖書 コリント人への手紙 第一13章
私はキリスト教の信者ではないし、宗教に詳しいわけではありませんが
牧師が聖書を朗読し愛について説教するこの結婚式も、仏前式に似た印象があった。
特に、聖書の中のこの 「コリント人への手紙」 は、愛についてとてもわかりやすい言葉で
表現され、宗教というより、むしろその真理が伝わり、
あの仏教の、愛についての説教と同じく
愛の深さとその意味が、又、参列者である私の心まで響いた。
つつがなく進められたこの結婚式の合間に
そんな聖書の言葉に引き付けられた私は、目の前の分厚い聖書を広げ
しばし読みふけってしまった。
その後、指輪の交換や結婚誓約書の儀式に続き
新郎が新婦のベールを上げ、キスをするのだが
どうして・・・・見ているほうが照れてしまうのか・・・?
そんな厳かな結婚式も、最後に、「賛美歌第二編 148番」 で締めくくられた。
そして外に出た二人は、参列者の「おめでとう!」 という重なり合うお祝いの声と共に
色とりどりの ”フラワーシャワー” を浴びた。
なんとも麗しい光景である。
そして、その披露宴で始めて見た、古式ゆかしい“筥迫(はこせこ)”の儀式、
参列者の注目する中、旅立つ娘のため着物の帯などに、化粧道具など
いろいろな「筥迫」を、涙をこらえながら差し込んでやる母親の姿が、又も感動を呼んだ。
筥迫(はこせこ)
胸元から優美をのぞかせる、伝統の小物。
江戸時代武家の婦人達が用いた紙入れが「筥迫」。
豪華なものでは金襴(きんらん)、緞子(どんす)、羅紗(らしゃ)
などに刺繍をほどこしたものがあり、なかには小さなお香やかんざし
懐中鏡の鎖などが差し込まれて使用されていたものもありました。
当初は鼻紙、薬入れだったのが、おしろいや刷毛化粧道具も
入れられるようになっていきました。
(ネットから)
笑いあり、涙ありの素敵な披露宴の最後に
新婦が、涙で詰まりながらも両親への手紙を読む・・その時
少し離れたテーブルの奥の、薄暗いところで、背中を丸くし
小さくなったそのおばあちゃんが、下を向いたままひっそりと泣き続けていた姿が
私の・・なんとも我慢できないほどの・・涙を誘った。
以前、人前式で”ジミ婚”であっても感動した結婚式はいくつもあった。
結婚式に限らず、宗教をうまく使い分けする日本人独特の方法ではあるが
聖書の「コリント人への手紙」との出会いから始まった、そんな結婚式のこの日は
又、忘れられない感動的な一日となった。