斉藤真一 「越後瞽女日記」 |
私の所属する「劇団山形」も、今年の演目が決まり
11月の公演を目指して稽古場が動き出した。
作:砂本 量 《レンタルファミリー》
舞台美術担当の私は、この芝居を舞台上にどう表現すればいいのか
脚本と私達は何を観客に伝えたいのか
演出との打合せと、舞台装置のイメージスケッチに入った。
思えば、演劇の世界に始めて魅せられたのは、私が20代のころ観た
劇団「文化座」の公演 「越後瞽女日記」 だったと思う。
それまで知らなかった「瞽女」という世界の衝撃とともに
「瞽女」の生き抜く逞しさと悲しさと・・今も感動したその舞台の光景は決して忘れていない。
舞台装置に魅せられ、役者に魅せられ、それに音楽と照明
目の前でそれらが織り成す光景・・・そんな”演劇”という世界に魅了された。
それに、この芝居の作者でもある「斉藤真一」が描いた「瞽女」の絵が
パンフレットの表紙になっていて、その絵にもどこか忘れられない魅力を感じ
それを今も大切に保管してある。
そんな「斉藤真一」の絵が観たくなり・・
先日、天童にある「出羽桜美術館分館」を初めて訪れた。
この美術館は、「出羽桜」と縁あってか、主に「斉藤真一」の絵が所蔵してある。
彼を知るために十分なほどの絵や「瞽女」と一緒に旅をした時の日記などが
所狭しと展示してあるのだ。
盲目の女性がとてつもない修行を重ね、そして
・・・・・大きな風呂敷包みを背負い、つま折れの笠をかぶり
蹴出しに草鞋(わらじ)をはき
そして三味線を弾き、唄を歌い続けた・・・・。
豪雪地帯の新潟
そんな吹雪く真冬であってもそれはかわらない。
以前、ドキュメンタリー映画だったろうか
「津軽じょんがら節」を、三味線の弾ける艶のある音と
坦々と・・しかし力強く歌いぬく「瞽女」を観た事があった。
美しさとは又違った何故か心の芯に触れ
魅了されたのを覚えている。
「瞽女宿」という泊まりつけの家に荷をおろしては、一年のほとんどが旅で明け暮れたという。
唄に生き旅に生きたそんな「越後瞽女」、彼女らを追って描き続けた彼の絵から
そんな盲目の「瞽女」のすさまじい“いきざま”が伝わってくる。
曾て私が、赤に取り付かれ
あらゆる色彩の中で
何か赤が根源の色のように
思えたのは、ふとしたことで
瞽女さんという盲目の女旅芸人
を知ってからである。
その時、彼女達に遠い思い出話
を尋ねたとき、
次のようなことを語ってくれた。
「目の見えていた幼いころの一番はっきりした記憶は
越後の平野に沈んでゆく真っ赤な太陽でした。
大きなお日様がとてもきれいで、きれいで、
まぶたの中に今でも焼きついています。」
私は、その時、普段物が見えすぎているためか
何かハッと目覚めるような、恥ずかしいような気持ちが
心の中で入りまじって、とまどうような思いであったのだ。
それは、絵を描く上で一番大切なものを
忘れていたと言う気持ちでもあったのだ。
《斉藤真一・さすらい日記》 文章 ”赤の幻想”より
この絵の例えようの無い美しい”赤”について
私は、ほんの少しだけ知ることが出来たような気がする。
「斉藤真一」の絵が、天童という何時でも見られるところにあったことに感謝しながら
この美術館を後にした。
1970年、新潟の「高田瞽女」の最後の親方「杉本キクエ」が
国の重要無形文化財に指定された。