《山形国際ドキュメンタリー映画祭2007》 開会式 |
10月4日(木)の今日、《山形国際ドキュメンタリー映画祭2007》 の開会式を迎えた。
私達が担当している 「市民賞」 のグループも、以前から「投票箱」や「投票用紙」の製作に奮闘し
お互いのシフトに基づいて明日から各映画館に足を運ぶ事になる。
出来るだけ多くの観客から投票してもらえるように
各映画館の会場に貼る手作りのこんなポスターも完成した。
それは、会場係やディリーニュース担当のボランティアも含め、この一週間は睡眠時間すら犠牲にして
自分に与えられたポジションを全うするのだ。
ボランティアとはいえ、その責任を果たすことは容易な事ではない。
それは、世界各国から押し寄せる素敵な「映画監督」や観客と接し、感動的な映画に囲まれ
ドキュメンタリー映画の世界的な大きな流れを肌で感じる事が出来るといった
言葉にならない魅力があるからに他ならない。
これは、先日朝日新聞に掲載されていた「映画祭」の記事だが
世界各国から応募された千本近い中から選ばれた15本のコンペティションの映画が
ワンカットの写真で紹介されていた。
この写真の構成のうまさもあるが、時間さえあれば是非観賞したい作品ばかりだ。
私は以前より、映画(映像という意味でも)に対するその視点の確かさを感じていた「加藤至」氏が
(東北芸工大の選任講師・映画祭の理事)この新聞の中でこの映画祭を次のように評価していた。
・・89年に映画祭が始まるや否や「山形がいい」・・「すごい映画祭だ」・・
「今からでも会期後半に間に合う」 などといううわさが東京で飛び交った。
いったい山形で何が起こっているのか?出身県を軽んじた若気の至りを後悔したものである。
・・・
80年代後半から、町おこし、村おこしのプロジェクトの一環として多くの市町村が
様々な映画祭を立ち上げた。
だが、成功と呼べるものはほとんど少なく、そのほとんどは既に姿を消してしまった。
山形映画祭が、今なお国内外から高い評価を受け続けているのは
奇跡的といってもよいくらいだ。
・・・
長大で地味で商業的価値は低くとも、文化的価値の高い作品を掘り起こして紹介して行く姿勢
すなわち公共性重視の姿勢が、この映画祭ならではのプログラムの質の高さを形成している。
この質の高さを維持して行くことこそが映画祭を続ける意味であり、使命である。
山形市民のプライドとして、文化を世界に発信していく絶好の祭典に他ならない。
今回で10回目となるこの映画祭も、今年大きく様変わりした。
映画祭実行委員会はそれまでの運営母体であった山形市から独立
そして今年2007年4月から、NPO 「特定非営利活動法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭」
となったのだ。
経済的な苦難を強いられるのはいうまでもないが
今後、そのことが「加藤至」氏のいう“公共性”と“質の高さ”を決して失ってはならない。
このコンペティションの15本のほかに、「アジア千波万波」と称し664本の応募の中から
選ばれた20本も各映画館で上映される。
このアジア勢の躍進は、映画祭の生みの親でもあるあの 故「小川伸介」監督の力が大きい。
「市民賞」は、これまでは両方合わせた35本の中から一本に絞って決めていたのだが
上映される会場の違いといったハンディキャップを考慮し
今回から、各々に・・つまり企画別に「市民賞」を2本ということに変えた。
その「市民賞」は、筆記用具が無くとも観客全員に渡された投票用紙を部分的に切り裂くことで
自分の感想を表現できるといった優れものの投票用紙によって決定される。
その票の回収と開票に明け暮れるこの一週間だが
戦争の最前線で命を掛けて撮ったある国の監督の言葉 「どんな賞よりもとても嬉しい」
「市民賞」を引き受けている私達は、今でもその言葉に支えられている。
今回の映画祭では、あの北野武監督へのインタビューを記録した
「北野武 神出鬼没」がドキュメンタリーとして日本で始めて公開されたり
今年のカンヌ映画祭でグランプリを獲得した河瀬直美監督の「垂乳女」も上映されたり
魅力たっぷりである。
そして私は
仕事と両立させながら
さてさて、この一週間どれだけの感動的な映画と出会えることだろうか。
午後6時に開催された今日の開会式の様子。
各国の映画監督や、その審査員も含めて、600ある客席はほぼ満席。
そして今日、いよいよこの映画祭がスタートした。