“残 秋” |
地上5階、私のマンションのベランダから見える千歳山付近の景色なのだ。
山形市内に幾つものマンションがある中で、ベランダから紅葉を楽しめるマンションはそうは無い。
最近はこのベランダに椅子とテーブルを持ち込み、特に四季の移り変わりを眺めるのが
趣味のようになってしまった。
爽やかな風を感じ、このベランダへ新聞を持ち込み太陽の光でその記事を隅々まで読みふける
その心地よさも覚えてしまった。
更に、双眼鏡なるものも手に持ち、バードウォッチングなどにも挑戦してみたりと・・・。
でも、今日は立冬、11月に入り流石に紅葉も色あせ、葉を落とし始めたようだ。
昨今の政治劇場が繰り広げる、民主党小沢代表の、わけの解らないドタバタ劇にうんざりしながら
何気なしにこんな景色を眺めていたら、風の爽やかさにも誘われ急に散歩に出掛けたくなった。
すっかり肌寒くなった残秋、ジャンバーの襟を立てスニーカーを履いて、この山の尾根をたどるように
東に足を運ばせてみた。
私は時々、仕事でいい案が浮かばず行き詰ったりしたときは
ふらっと・・散歩に出掛けることにしている。
そして、かつてはこの何気ない散歩で、ヒラメキを呼び、抱えていた難題を幾つも解決したのだった。
ある時は、そのヒラメキを忘れないうちに・・・と、散歩先から走って戻ったときもあった。
今日は、そんな難しい課題は一切持たず出掛けることが出来たのは
さて何ヶ月ぶりのことだろうか。
まずは足元に、微笑ましい 「ホオズキ」 が懐かしくも美しい。
そして、しばらく歩いていると、民家の縁側で柿の皮を一心にむき続けている、しっかり腰のまがったおばぁちゃんが見えた。
そしてその民家の軒先に柿を干す、こんな懐かしい風景にも目が止まった。白壁の日本家屋に、この干し柿はどうしてこれほどに似合うのか。以前、上山の沿道から見えた干し柿を生業としているのだろう、風物詩ともいえる無数の干し柿に魅せられたことがあったが、数は少ないがこの民家の簾のような風景も何故か心に優しい。
県庁の公園を回り、又民家のある小道に入ってみた。
今度は、倉庫の壁にびっしりと大根を干すこんな風景も飛び込んできた。
この“残秋”ならではの“ヒト”の営みの美しさ・・・と、のどかさは、どんな優しい言葉よりも
心の芯まで癒される。
この爽やかな青空にも誘われ、散歩に出掛けてからいつの間にか2時間近くもたっていた。
帰り道の最後に、久しぶりに私のマンション近くの公園へ寄ってみた。
キャッチボールで楽しんでいる親子をよそ目に、あの黄色い色も鮮やかな銀杏の葉で埋め尽くされた
このベンチの、作ろうとして作れない風景に見とれてしまった。
そこに差し込む太陽の光にも、たとえがたい美しさを感じながら、私も暫しこの状況に埋もれていた。
以前からこの公演には、何故か親しみを感じて、時々訪れる。
時には夜、ビール片手にベンチにあぐらをかき、近所の子供達が上げる花火を見たり
何時だったか、思いっきり犬の糞を踏んでしまって、その処置に苦心したことも思い出した。
そんなこの公園も含めて、私の身近に素敵な風景がたくさんあったことに気付き嬉しくもなり
そして改めて日本の四季の美しさを体感したひと時だった。
今日の爽やかな秋晴れの下・・心が少し豊かになった。