「劇団山形」 “レンタルファミリー” 公演 |
私も、舞台装置を作り続けて20数年、「継続は力なり!」か、セット作りの技術もかなり
身についてきた。それに、目に見えない財産もたくさんある。
他の劇団も含めその仲間たちや、それに、なんといっても一番の財産は
私たちを見届けてくれている沢山の観客。
先週17日(土)の公演当日、楽屋には、何時ものことだが、団員の奥様や旧団員などが駆けつけ
料理やおむすびや漬物など、テーブルに乗り切れないほどの差し入れでいっぱいになった。
これも、劇団の長い歴史が物語っているのだろうか。
そして幕開けの15分前、「2礼2拍手1礼」・・と、舞台装置であるこの神棚に
誰が言い出すともなく、公演の成功を祈願し団員全員で手を合わせた。
その後、舞台中央に集まり全員エンジンを組み
「成功目指してがんばろう・・・!」と
気を引き締めるために、いつもの慣わしで気合を入れた。
本番直前、舞台袖では役者たちが各々自分流の“キモチ”の作りかたが始まった。
ある人は、椅子に座って目を閉じ、気持ちを集中させている人。
またある人は、小さな声でセリフをつぶやきながら、狭い袖を行ったり来たりと落ち着かない様子。
メモしたセリフを、舞台装置や小道具などの、ありとあらゆるところに貼り付ける役者などもいる。
緊張のあまりか「あ・・いたたぁ~・・・。」と、下腹を押さえトイレに駆け込む役者まで現れた。
まもなく幕が上がる舞台上では、キャストに限らずスタッフも、これまでひたすら稽古を繰り返したその手順や位置などを、本番に向けてもう一度最後の点検に入った。
装置担当の私は、戸の開閉やパネルの固定など、舞台裏も含めもう一度確認。
そんな時私は、パネルの裏に書かれた数字や文字が作り出すなんともいえないこの雰囲気に
綺麗に仕上げられた舞台正面とは又違った意味で魅力を感じていた。
パネルの裏に、覚えられない部分なのだろうか、マジックで“セリフ”を書き込む役者もいて
この舞台装置からも、その役者の”思い”が伝わってくる。
そして、600席あるこのアズホールが、次々と観客で埋め尽くされた。
(昼350人、夜370人、合わせて700人を超えたと後でわかった。)
第1ベルから三分後、本ベルが鳴り、客電が下ろされ緞帳が上がった。
ある民家の客室という設定のこの舞台装置。
下手の障子窓には、裏に仕込まれた竹の枝が照明を受け、そのシルエットが写され
庭である外部の雰囲気が伝わってくる。
上手には、主人公の古く厳格な老人を表現した、「違い棚」と「神棚」が置かれ、襖戸の上には
木彫の「欄間」をはめ込んだ。
かつて 帰りたい我が家があった・・・
豊かさの中で失ってきた家族の絆・・・
お金さえあれば何でも手に入る現代社会・・・
家族の絆さえもお金で得ようとする現代社会の危うさを描く。
(パンフレットより)
親子とはなんなんだろう!
夫婦とは?・・家族とはいったいなんなのだろう・・!
そんな笑いあり、涙ありの・・・レンタル家族の物語が繰り広げられた。
何時ものことだが、袖で見ているスタッフの私たちは、「セリフ・・飛ばしはしないだろうか?」とか
はらはらどきどきしながら見ている。
♪ 夕暮れに あおぎ見る
かがやく 青空
日暮れて たどるは
我が家の細道
せまいながらも楽しい我が家
愛のひかげさすところ
恋しい 家こそ 私の青空
訳詩 堀内敬三“私の青空”より
ラストシーンで“重明”という主人公が、この歌をゆっくりと歌いあげる。
舞台にはたった一人老人が、その老いてボケて行く姿を見事に演じきった。
最後には、懐かしいあの「エノケン」の歌が流れ、ゆっくりと幕か下ろされた。
その瞬間、緞帳の裏では、「おつかれさま~・・!」と、稽古に明け暮れ、なし終えた感動
で抱き合うものや、涙ぐむ団員も多い。
さて、私たちのこの芝居は、観客にどう伝わったのだろうか・・?
観に来てくれた友人の感想やアンケートを読みながらゆっくりと噛み締めることにする。
どん帳が下ろされたPM8:30、装置担当の私は、感動の余韻に浸る時間も無く
早速舞台装置の解体に入らなければならない。
PM10:00までに舞台を綺麗にしこの会館を出なければならないからだ。
これも何時ものことだが、三ヶ月間コツコツと作り続けた舞台装置も、公演終了とともに
跡形も無くあっという間に解体されてしまうこの瞬間、この舞台が観客の脳裏に記憶されただろうか
そんな寂しさよりも、解体しながらも成功した優越感に浸れる瞬間でもあるのだ。
解体された舞台装置と一緒に稽古場に戻り、各々のポジションの後片付けを終え
打ち上げが行われたのはPM10:30だった。
その打ち上げで、夜遅くまで大いに盛り上がったのは言うまでも無い。
そして、今年の「劇団山形」の公演が…終わった。