“大井沢” と “マタギ” |
一度仕舞った“コタツ”を、もう一度出したくなるような、寒い日々が続いている。
小雨が降り風も強かった昨日、大井沢登山に向け「千歳山」の山頂を目指したかった私は断念
自宅マンションの、7階まで続く階段室を使い、何度も登り降りして体作りをした。
挙句の果て、その踊り場で腕立て伏せなどにいそしみ・・・やりすぎて息を切らした自分に
「大井沢登山とは言え、言ってみれば単なる山菜取りなのだから、
そこまでやることはないだろう!。」
と、自分に言い聞かせながら・・・・私は思わず一人笑いした。
最近、体を動かし、久しぶりにそんな心地よさを知った私は、辛さや我慢しながらではなく
楽しみながらこの爽快さを続けられれば・・などと
登山とは別に、そんなことを思いながら、週末の大井沢を想像していた。
大井沢では、何時も私たちを誘導してくれる地元の彼は、設計事務所の社長でありながら
なんと“マタギ”でもあるのだ。
彼は、酒を酌み交わしながら、ちらっとその“マタギ”の世界をのぞかせてくれるときがある。
5~6人、ときには7~10人の人たちで一緒に行動し山に入る。
そして、その厳格なルールによって、雪で真っ白な山肌に黒く動く一点を見つけ出し・・・
徐々にそのクマを追い込んでいく。
厳寒の山で行われるその猟、坦々と語る彼の言葉からも想像を絶するその状況が伝わってくる。
そのマタギたちの、腕力や筋肉ではない“しなやかな体力”を持たなければ皆に付いて行けず
場合によっては・・・容赦なく死につながるのだろう。
彼らは、重い猟銃と自分の水分と食料を背負い、帰りには、山で解体したクマの肉を
又重ねて背負い、分厚い雪をカンジキだけでかわし降りて来る。
いくら子供のころから育った環境とは言え、どうして彼はそこまでしてマタギの世界へ
踏み入るのか?・・・・・と、思いながら・・・もう何年経つだろうか
たまに大井沢の道端で、彼が村人とクマの情報を語り合っている姿を見るとき
こんな私なぞにも、言葉で表現できない・・彼の“おもい”に・・少しだけ近づけたような気になる。
クマは、その村にとって大切なタンパク源で、山からの授かり物として
クマのその“いのち”に・・・そしてその山の神に感謝しながら、その肉は公平に分け合うのだという。
冬眠を終え、穴から出たばかりの春クマの大きな胆のうを干し、それを胃腸薬として全国に売られ
マタギたちの大事な収入源となって生活を支えたのだともいう。
“やま”について何も知らず、にわか練習の私でも、毎年そんな山の神秘に少しでも触れるとき
逆にその場に居合わせた自分の“いのち”に気がつき、なにかに向かって感謝したくなる
そんな思いを体験する。
今年も春になると、言葉にならないそんな思いが又蘇り、軟な私はにわか練習を始めた。
昨日、近くの公園の“藤棚”も、見あげなければ気が付かないところに、いつの間にか
鮮やかに紫いろした房を下げ、ひっそりとその美しさを見せてくれた。
今日も早速朝一番に、日めくりカレンダーを1枚めくった。
5月14日、水曜日・・・・そして今日の格言
「希望は強い勇気であり、新たな意思である。」
ルター・1483~1546・ドイツの宗教改革者