“虹”と“芍薬” |
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
とは、詠み人不詳ではあるが
1997年、文化功労者として表彰を受けた俳人、「山口誓子」はこの芍薬を
「芍薬を嗅げば女体となり至り」・・・と詠んだという。
まさに、甘く美しい香り漂う・・そんな芍薬を、私は昨日南陽市の「諏訪神社」で満喫した。
二週間ほどで散ってしまうその花びらは、今ほぼ満開となって「諏訪神社」の境内の周り一面に
赤や白や黄色と、様々な色も鮮やかに咲き誇っている。
左は、まさしく恥らうようなピンク色の“ルーズベルト”、中央は“華燭の典”
右が赤の色も鮮やかな“レッドチャーム”。
私はこの花が、こんなにも種類が多く、色も艶やかで、なんといっても美しく・・上品に香り漂う姿をしていたことに驚き、私は“芍薬”という花をほとんど知らなかったことに気が付いた。
帰りに受付のおばさんが、芍薬茶をご馳走してくれながら
「綺麗でしょ~・・・!、みんな違う色や形してるけど、、一つ一つみんな綺麗でしょ~・・!」と
育て上げた可愛い子供を見つめているような表情で、目を細めながら“芍薬”の魅力を語ってくれた。
「恥じらい」・「生まれながらの素質」というのが花言葉だと知って、この花に魅了され続けてきた
その美しさの深さ・・のようなものに、ちょっとだけ近づけた気がした。
春を告げる桜の、あとを追うように次々に咲き始める美しい花々だが、仕事の合間に
その見ごろの時期に時間を合わせ訪れるのは、なかなか難しいことだが・・・
一日の仕事の予定を終えた昨日の夕方四時、早速“置賜花回廊”を回ってみることにした。
山形から13号線を南下し、順番にまずは南陽市「諏訪神社」のこの“芍薬”~南陽市「双松バラ園」~飯豊「どんでん平ゆり園」~長井市「つつじ公園」・・・と、ちょっと欲張ってみたのだ。
この“芍薬”に満喫するも、南陽市の熊野大社近くの「双松バラ園」は、五時を過ぎてしまったため
入場料なしで自由に見ることが出来たのだが、満開を越え散り始めているものが多く
あの“妖艶”なバラの姿は何処にもなかった。
飯豊「どんでん平ゆり園」に到着したのも夕方6時近くなっていて、ここでは既に門が閉じられ
一歩も中に入ることが出来なかった。
その門の隙間から見えた、百合のしとやかさが伝わってきて、近く必ず又訪れようと
悔しさを残しながらも・・・・・温泉好きな私は、飯豊にある「いいで旅館」の「がまの湯」で
露店風呂を満喫(いずれブログで。)・・・薄暗い中、今度は車をUターン!・・・長井に向かった。
長井市つつじ公園の「白つつじ」は散り終えて、流石に観ることができなかったが
薄暗くなった夕方でも、こんな滝のライトアップや噴水を前に、久しぶりに観る「つつじ公園」・・
とても綺麗に整備されていたことに驚いた。、
仕事を終え、車でこの花回廊に向かう途中、小雨がぱらつき始めたかと思えば、そのフロントガラスから懐かしくも久しぶりに観る美しい虹が見えた。
私はどれだけ“虹”を見ていなかっただろうか・・しかもこんなに鮮やかな虹は始めてかも知れない。
私は思わず車を路肩に止め、暫し見入ってしまった。
しとやかに咲く“ひめさゆり“の川西町「山野草」、長井の「あやめ公園」、白鷹町の「べに花」などなど
あでやかな色と香りに包まれる“置賜花回廊”は・・・まだまだ続く!