美しき“朝日連峰”・・・念願の大井沢 |
お互い都合が合わず、もうどれだけ延期を重ねてきただろか、毎年恒例になっていた大井沢登山。
何時もは山菜などの春の恵みにあやかりながら山の魅力を満喫するのだが、今年はその時期を逃してしまった。
先日、友人の“マタギ”の彼から連絡が入り、熊猟の際に痛めた膝の半月版も回復したことを受け
私たちは早速連絡を取り合った。
何とか三人の休暇が合致した昨日の日曜日、山菜には遅すぎて、タケノコには早すぎるが
私たちはこのチャンスに急遽大井沢に向かうことに決めた。
昨年は体力不足を痛感し、少しでも“しなやかな体力”を身に付けようと始めた、千歳山登山や
マンションの階段の上り下りやウォーキングなど、いつのことになるのか・・その大井沢登山とは別に、その爽快感に魅せられ、私はいつの間にかそれが習慣になっていた。
そして、急遽決まった大井沢だが、私は、これまでのその成果が試される時が、ようやく
おとずれたようだ。
早朝7時、久しぶりに3人顔をあわせた私たちは、柳川温泉周りで大井沢に向かった。
“マタギ”でもある地元の彼の案内で、まずはちょっと早いが“竹の子”を取ろうと長靴にリュック
(彼はハケゴ)姿で山に入った。
昨日は日曜日ともあって、地元の人など・・たくさんの人が山に入っているようだが、彼は
彼しか知りえない場所があるらしく、私たちはひたすら彼の後を追い、山を登った。
(生い茂るブナの大木の間から、僅かに朝日岳が見え・・・何故か感動。右は美しいブナの木肌。)
どのぐらい登っただろうか、緑の色も深みを増し、私たちはブナやナラの大木が
生い茂るところまでたどり着いた。
巨大なブナの、抽象画の版画を思わせるような木肌の美しさに見とれ、その巨木を暫く見上げた。
よほどこの山を知る人でなければ、決して立ち入ることはないだろうそんな景色に、どこか懐かしさを感じたのだが、よく思い出してみたら、何年前だろうか、天然の“なめこ”取りに、私たちが一度訪れていた場所だった。
同じ山でも、季節が違うと山の様子は一変するが、それぞれ又違ったダイナミックな魅力を感じ
山には決して飽きることはない。
私の体は、昨年とは比較にならないほどに軽快で、驚くのは、かなりきつい傾斜を登り詰めても
1~2分で私の息は直ぐに正常にもどったことだ。
流石に山を知り尽くした地元の彼のお陰で、まだ一週間は早いだろう“タケノコ”も、その太さにばらつきはあるものの、三人では充分過ぎるほどの収穫があった。お互い、背中のリュックにその重みを感じながら、私たちは今来た山道を今度はひたすら下山した。
山の稜線を辿るように降りていると、時々とても気持ちのよい清々しい風が吹き込み、「うわぁ~・・気もいいねぇ~・・。」と、お互い同時に声を掛け合っていた。ようやく車にたどり着き、先に下山していた人たちと挨拶を交わしその収穫を報告しあった。やはり「タケノコ」にはまだ少し早かったようだ。
大井沢の彼の実家に着いたのがちょうど昼近くで、お互い持ってきた食料で昼食となった。
(トイレをかりようと奥くに向かったら、親父さんが作っているのだろうか、ツルで編んだ作りかけの、こんな籠を見つけた。)
もう三十数年間お邪魔し続けている私は、一時期体調を崩したという彼の親父さんの元気そうな顔や、又山菜や漬物でもてなしてくれるお母さんに再会、二人とも変わらない笑顔で迎えてくれた。
彼の実家で暫し休ませていただくも・・・まだ昼時間、彼は何時も行くあの山菜のある場所に行ってみよう・・と誘われ、午前の登山で疲れ果てたもう一人の渋い顔をよそ目に、ちょっとは体力のついた私は「行こう!・・行こう!」と一つ返事。
車を走らせ、毎年訪れている山へリュックを背負い又登り始めた。
何時もばててしまう心臓やぶりの急斜面も、のっしのっしと登りつめるが、流石に二度目の登山、疲れが少々足に表れ始め、ツルに足を取られ・・よろけながらも何とか何時もの場所にたどりついた。
(左がミズバショウ、右がコゴミみ。)
何時もは、リュックが山菜で一杯になるのだが、三週間は遅いだろう・・・一変したその状況は
美しく咲く水芭蕉の葉も大きく成長し、あの可愛い“こごみ”の群生は全くその様子を変えていた。
たくましいほどに成長したその姿は・・まるで“こごみ林”だ。
それでも私たちは彼のお陰で、少しの「うど」や「あいこ」や「たらの芽」を収穫することが出来た。
今回の大井沢登山で出会った白い色も眩しいこの「こぶし」の花や、まだその花びらを
折りたたむ“つぼみ”のなんとも言えない美しさに・・・時々足を止め魅せられた。