“知ってるつもり”・・の 《 さくらんぼ 》 |
それは勿論独特の甘さも美味しい「佐藤錦」なのだが、東根に親戚や友人を持つ人なら
何処かに必ず“さくらんぼを出荷している人にたどり着き、買わずとも何とか手に入るものだ。
そして、この出荷に忙しい季節には、その箱詰めなど人手が必要となり、主婦や学生に限らず
様々な人たちがその作業に狩り出される。
そして、割れたものや、双子のものや粒がそろわないもの・傷ついているものなど、出荷できないものが、こうして私たちの手元に届くのである。
だからといって不味いわけでもなく、その甘く美味しい味は全く変わらない。
子どものころは、今のような甘いお菓子など口に入るわけもなく、この季節にはポケットに
こんなさくらんぼを入れ、おやつ代わりに食べていたのを思い出す。
今考えれば、貧しかった子どものころも、この季節だけは何と贅沢なことだったことかと
改めて思う。
「佐藤錦」の、こくのある素敵な甘さと、ルビーのように輝く美しさは、他のさくらんぼより遥かに優る。
大正12年に、この世で初めて実をむすんだそんなさくらんぼの王様「佐藤錦」・・・
私は今日、「佐藤錦」についてはじめてネットで追ってみた。
すると、驚くことに“さくらんぼ”は、古代ギリシア時代に栽培されていた記録が残されていたことを知った。そして、桜桃の一種である“甘果桜桃(セイヨウミザクラ)”はイラン北部からヨーロッパ西部にかけて野生していて、明治初期になり日本に初めて“さくらんぼ”が輸入されたのだそうだ。
その後、ようやく山形県東根市の「佐藤栄助翁」の元にたどり着き、味は良いが日持ちが悪い「黄玉」と、日持ちは良いが固く酸味の強い「ナポレオン」をかけあわせ・・・
そして「佐藤栄助翁」によって「佐藤錦」が始めてこの世に誕生したのだという。
その後、「岡田東作翁」の度重なる努力によって、現在のさくらんぼの代名詞とも言われる
「佐藤錦」となったのだそうだ。
いわば「佐藤栄助翁」は生みの親とすれば、「岡田東作翁」は育ての親といえるのかも知れない。
その後、この「佐藤錦」の誕生によって、まさに現在の『さくらんぼ王国ひがしね』を築いたとも言えるようだ。
佐藤栄助翁は、当初このさくらんぼの名前を地方名にあやかって「出羽錦」と名付けようとした
ようだが、「岡田東作翁」が生みの親の名をいれるべきだ・・・と主張、結果昭和三年(1928年)に、このさくらんぼ「佐藤錦」・・という名前が誕生したという。
もし、「出羽錦」という名前だったらどんな印象だったろうか・・・と想像してみるも、でもなにかちょっとお相撲さんの四股名のようで、やはり「佐藤錦」でよかったような気がする。
勿論“さくらんぼ”は、「佐藤錦」だけではなく他にもなじみ深い数種類の品種があった。
早生種(6月上旬)に「シャボレー」・・・フランス原産たで酸味が強く糖度が低く、ジャム、果実酒
等の加工用に適し、受粉用に栽培されていることが多い。
中生種(6月上旬~下旬)に「高砂」・・・アメリカ原産で、元名はロックポートピカロー。(写真左)
そしてこの「佐藤糖錦」・・・(写真左から二番目:色もひときわ鮮やかだ!)
晩生種(6月下旬~7月上旬)は「ナポレオン」・・・果実は酸味が強く、缶詰、洋菓子等の加工用
にする。ヨーロッパ各国で栽培されている品種で、名前は
ナポレオン・ボナパルトに由来し、彼の死後ベルギー王が
命名したという。(写真右から二番目)
「紅秀峰」・・・収穫時期は7月上旬。
「ダイアナブライト」・・・ナポレオン、佐藤錦、ジャボレー等の混植園から採取し
た種子の実生から選抜したもので、果重は平均で11~
12グラムと大玉品種。果肉は乳白色で核(種)の周囲の
着色は無い。
”プチット&ジュワ~”と甘いというこの「ダイアナブライト」
私はまだ食べたことがない。(写真右)
そして輸入物に「アメリカンチェリー」・・・といったところだろうか、でもまだまだいろんな品種が
あるようだ。
又、特別な環境で育てられた「佐藤錦」は、贈答用とした正月の初出荷では、約30粒程度が
入った300グラム詰めで、なんと驚きの3万円から5万円という高値で取り引きされ・・・・
まさに「赤い宝石」と呼ばれるごときである。
“さくらんぼ”は、山形県のほかにも、青森県や山梨県などで出荷されるが、その総数20.800トンのうち、14.900トンが山形なのだから、まさに「さくらんぼ王国」である。
なにげなしにネットで追っていたら、知ってるつもりの“さくらんぼ”について
私の知らなかったこがたくさんあって、又この「佐藤錦」の素晴らしさを改めて思った。
私の生まれ育った『さくらんぼ王国ひがしね』の東根温泉街は、今頃は全国各地から
「さくらんぼ狩り」に訪れるたくさんの観光客で・・さぞや賑わっていることだろう。