「唐津焼」 の “ぐいのみ” |
先日、お店のデザインや設計で30年近くもお世話になっている山形の某老舗菓子店の前会長より
ある建築について相談にのってほしい・・との連絡を受けた。
前会長が、社員に心から慕われていた社長だったころから、店舗のデザインに限らず、そのお店に飾る絵や彫刻などを買い付けるため一緒に画廊を尋ねたり、どうお客様に“おもてなし”をすればいいのか、以前からお互い正直な意見を語り合っていた。
日々、彼からそんな感性の鍛錬を受け続けたからこそ、生意気な若造だった私が今こうして感性を生かせる“建築”という職業に携わっていられるのだ・・・と、今もそう思っている。
私が今あるのは、デザインだけでは無く、人間的な・・様々な意味も含めて彼の教えのお陰だと・・・・
心からそう思っている。
そんな尊敬する前会長から相談を受けた私は、勿論すぐに彼の自宅に駆けつけた。
この日の相談事は、私にすれば・・たまたま容易い問題ともあってすぐに解決した。
それとは別に、久しぶりに再会した私たちは、彼の自慢の焼酎をいただきながら、昨今の社会情勢からお互いに好きな彫刻や絵の話などに花が咲き、私は楽しいひと時を過ごした。
そして、夜遅くなった帰り際、「前から・・今度君と会えたときに・・と思って、取っておいたものがあるから・・。」といって、奥の部屋から大事そうに持ってきた、なにやら桐の小箱のプレゼントを受けた。
私は、早く空けて見たい気持ちを押さえながら、自宅に戻り早速この桐の箱を丁寧にゆっくりと開けてみた。
それは、大胆な絵付けも美しい「唐津焼」の“ぐいのみ”だった。(冒頭の写真)
私は以前から陶器が好きで、何時のころだったか、ある陶芸家に弟子入りしたことがあった。
勿論、陶芸を職業にしようなどと思っていたわけではなく、その陶芸の土の触感や焼きあがったその肌合いなど、古代から変わらずに土を“焼く”という原始的な方法に何故か魅力を感じ、その基本を教わろうと通いつめたのだった。
(写真は私の作品、”カジカ”の箸置き。その他に自慢の香炉があったのだが、無念にも壊してしまった。)
勿論のこと、にわかな勉強で素人の域から出るわけは無く、それは、プロの陶芸家と言えど“売れる陶器”を生み出す・・というのはそう簡単な事ではないことをいやというほどに痛感することになったのだった。
その後の私は、陶芸を教えていただいては・・・お酒をご馳走になってしまう・・・と言った、いつの間にか“酒飲み”の弟子ともなっていたのだった。
(写真は、陶芸が好きだと言う・・・あるお客様の電気釜を使わせていただいて作ったビールジョッキ。今でも結構気に入っている。)
以前から前会長の自宅に招かれると、何時ものこと、テーブルの側にある引き出しを開け、一つ一つがびっしりと区切られ並ぶ素敵なたくさんの“ぐいのみ”の器から、その時の私が好きなものを選んで、その器でご馳走になるのが習慣だった。
そんなことも思い出しながら、彼からいただいた“酒で磨く”と言われる「唐津焼」のこの“ぐいのみ”を、私は一生大事にし、彼とともに培ってきたエネルギー溢れるあのころの日々を忘れることなく、これからも精進しなければならないのだと・・私は今、この“ぐいのみ”を握り締め・・・じっくりと眺めながら、改めてそう思った。