映画 『おくりびと』 |
“いきもの”の“いのち”を食べなければ生きてはいけない・・私たち人間!。
“山崎努”演じるNKエージェント社長が、“ふぐ“の白子を美味しそうに食べながら語るこの一言のセリフに、映画「おくりびと」のテーマが端的に表現されていた。
人間・・のみならず、スクリーンを通し終始流れる『生』と『死』・・つまり生きとし生けるものの“いのち”に対する感謝や尊厳!といったことを、この映画は国境を越え、笑いも含めたこの“映画”という手段で見事に表現してみせた。
私は、他界した親父も含め親戚の伯父など、この三年間でかけがえの無い5人もの“いのち”を見届けてきた。先月、この映画の舞台となった・・その酒田より訃報が伝えられ、私たちの目の前で、まさしく納棺師によって繰広げられた「おくりびと」を、私は身をもって体験していた。そんな私には、この映画はあまりにもリアル過ぎ、辛い悲しみが蘇るようで、昨年の「モントリオール世界映画祭グランプリ」を獲得したことも知りながら、どうしても・・観よう・・という気持にはなれなかった。
でも、徐々に時が離れ、もう一度“いのち”をみつめてみようと、この、第81回米アカデミー賞 外国語映画賞を見事に受賞した映画・・「おくりびと」を、昨日、ようやく観ることができた。
何回目の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」だったか、人間が動物を“殺す”シーンが沢山含まれた一本のドキュメンタリー映画を観客が観終わって、一人の青年が憮然としながらこの監督に質問をした。「残酷な数々のシーンで、私は思わず目をそむけたくなったのですが・・監督は、いったい何を伝えたかったのですか?」。監督は、「君はハンバークを食べないのですか?。」と、逆に聞き返した。青年は「はい・・・・食べます・・・」。と答えた。監督とのこの短い会話で、この青年も含め、会場に居た全ての観客に、目に見えない何か大事なものが伝わった瞬間だった。殺さなければ生きていけない・・私たち人間!、つまり、“殺す”といった・・一番辛い部分を誰かに託しているだけなのであり、・・・それを引き受けている人がいるのだと、そのことによって私たちは“生きる”ことが出来るのだと。
「うまいんだなぁ~・・・これが、困ったことに!」
私は、そんなセリフを聞きながら、瞬間、あの時の監督の言葉を思い出していた。
とつとつと、一見・・無表情に見えながら、根底にある“いのち”への尊厳を含め、“こころ”の深さを見事に演じて見せた“山崎努”。
それを通して、徐々に“こころ”が成熟していくさまを、納棺師という、難しいだろうその表情や指先の動き・・、それに加え、人間の感情までもか“音”によって深く表現される楽器「チェロ」を、弾きこなしてみせた俳優「本木雅弘」の、見事な表情と無駄の無いその演技力に・・私は・・思わず感動し・・涙していた。
勿論、物語の骨格を作った脚本:小山薫堂、それを見事に映画として完成させた監督:滝田洋二郎の才能に・・・ひたすら驚嘆するばかりだ。
この、映画「おくりびと」では、“納棺師”・・という職業に対して、「汚らわしい」・・や、「もっとまともな仕事に就け!」や「死体で飯を食っている・・くせに!」といったセリフが意図的に含まれるのだが、だからこそ、その愛する人が「死」を迎えたとき・・”納棺師”という職業の本質が詳細に表現されて行き・・・そのありがたさ・・への感動が胸を打つ!。この世界38カ国に配給されるという、見事に国境を越えたこの映画が、今度は・・・宗教をも超えられるだろうか?。
あの、ハリウッドの目指す映画とは違う、日本人として誇りに思えるこの映画の舞台が、我が住む山形県の酒田であったり、エキストラに芝居仲間が数人出演していたりと、私は、どんな映画よりもより身近な作品として鑑賞できたのが・・何よりも嬉しい。