“岡倉天心” と 「六角堂」 |
美術家、美術史家、美術評論家、美術教育者、美術行政家、美術運動家・・つまり近代日本を代表する文明思想家“岡 倉天心”(1863-1913)は、明治31年、茨城県五浦に「日本美術院」を創設。そこで「横山大観」・「下村観山」・「菱田春草」・「木村武山」といった数々の日本画の巨匠を育てるのだが、晩年、この地に自ら設計し読書と思索にふけったというのが、海に突き出た断崖に建つこの東屋(あずまや)「六角堂」だった。
(日本美術院研究所で撮られた上の貴重な写真。手前から武山・春草・大観・観山・・だという。パンフレットから)
この「六角堂」は、当初「法隆寺夢殿」を模したと思われていたようなのだが、最近では朱塗りの柱や屋根の上には仏道の特質が現れていて、床の間を備えた芸術鑑賞と対話のための「茶室的空間」と考えられている。「六角堂」建設と同時期に書かれた英文著作『The Book of Tea(茶の本)』のように、この「六角堂」には、道教と仏教と茶が渾然一体となった、まさに天心の世界観が垣間見える。
奈良時代の官僚の服装を参照して自ら考案したと言うこの奇異な服装に包まれた“岡 倉天心”。(左:平櫛田中:作)
彼は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の“伝統美術”の優れた価値を見詰め育て、近代日本美術の発展に大きな功績を残す。私は今日、懐かしくも
そんな“岡 倉天心”作「六角堂」からの絶景や、「茨城県天心記念五浦美術館」などのパンフレットを捲りながら、暫しの間、又“岡 倉天心”の世界に浸ってみた。(左は土が盛られただけの天心の墓)