「三人三様」・・の三人とは、草月流創始者「勅使河原蒼風」・写真家「土門拳」・グラフィックデザイナー「亀倉雄策」のこの三人なのだが、義兄弟・・とも呼ばれるほどにこの三人とも仲がよく、お互いの作品に少なからず影響を与え合った三人だったようだ。今、山形は酒田市が生んだ写真家の巨匠「土門拳」が、この世に生を受けて今年でちょうど100年目にあたり、その生誕100年を記念して、今「土門拳記念館」にて、『三人三様』 展・・が開催されている。
この季節、「土門拳記念館」の“拳湖”を取り囲む“あじさい“も見事だろうと、私は久しぶりにあの映画「おくりびと」のロケ地ともなった酒田へと向った。・・日本の建築家「谷口吉生」設計のこの「土門拳記念館」の建築は、何時訪れても新鮮な感覚に包まれ決して飽きることはない。私は、“あじさい“・“拳湖”・「土門拳記念館」・・が全て重なり、お互いの美しさがよりにっそう引き立てあうポイントに立ち、その美しさにしばし足を止めた(写真)。この日、平日にも関わらず、“拳湖”の周りは県外からの観光客で取り囲み、たくさんの人たちが美しさと爽やかさを満喫しているようだ。私は、そんな美しい“あじさい“を楽しみながら“拳湖”を一周してから「記念館」へと足を運んだ。
何時もメーンの展示室にあった仏像の写真は取り除かれ、それに変わって「勅使河原蒼風」と「亀倉雄策」の作品が展示してある。この三人は、果たしてどんな風に影響しあったのか、私はとても興味を持ちながら、一点一点、ゆっくりと見て廻った。
「勅使河原蒼風」は、他の二人とは違って後世に残すことの出来ない“生花”という世界だったために、彼は自分の作品を残そうと、写真家「土門拳」に託したのだそうだ。(冒頭の写真:「私の花」新喜楽。)「勅使河原蒼風」が生けて「土門拳」が撮る・・といった、なんとも贅沢なこの共同作品の前に立った私は、まるで一枚の絵を見ているようで、「土門拳」が切り取ったその構図の美しさに心惹かれていた。この二人の関係は息子へと引き継がれたのだろうか・・?、この「土門拳記念館」の企画展示室Ⅱから見える美しいこの庭は、「勅使河原蒼風」の息子「勅使河原 宏」作の庭園なのである。
(上の写真:パンフレットから)
そして、この二人に「亀倉雄策」が加わった、三人による一つの作品があった(左)。
グラフィックデザイナー「亀倉雄策」は、アメリカのあるアート・ディレクターから「釈迦」の言葉をデザインしてほしい・・と依頼を受ける。そこで彼は、まず「勅使河原蒼風」に、岩に欄の花を生けてほしいと・・それに“佛陀”という毛筆の字も合わせて依頼したという。今度はそれを「土門拳」に写真に収めてくれるように頼んだと言うのだ。それらを「亀倉雄策」が、構成をし完成させたのがこの1961年作:“佛陀”という作品だという。
依頼したアート・ディレクターは、大いに気に入り、「三人による作品なのであれば・・・」と、約束の金額に、上乗せして支払ってくれたのだと言う。
左から
「亀倉雄策」
「土門拳」
「勅使河原蒼風」 パンフレットから
強烈な個性と独自の美学でそれぞれのジャンルを確立し、更にその可能性を切り開いていった“義兄弟”とも呼ばれるこの三人の関係が・・・同じデザインに関わる仕事を持つ私には、なんとも羨ましくてならない。