台風の影響でまだ到着していない世界中から訪れる招待客席が空席のまま、山形中央公民館アズホールの緞帳が上がった。真っ暗なステージの正面のホリゾントが、照明によって徐々に鮮やかな赤に変わり、その舞台には「東北芸術工科大学」の女子学生による和太鼓の演奏が始まった。女性とは言え、腰の据わった逞しいその動きと軽快な太鼓のリズム、この日本の文化が世界にどう伝わったのだろうか。そして、映画解説でもおなじみの司会者「荒井幸博」氏が登場。開会宣言とともに、昨日夕方6時、一週間にわたる“山形国際ドキュメンタリー映画祭2009”が開幕した。
「おう~・・お久しぶり!元気だったぁ~」・・「よぉ~・・今回もよろしく」・・「二年ぶりだねぇ~・・」、映画祭本部(上の写真)を訪れた私たちスタッフは、あちらこちらでそんな会話が飛び交った。私も20年も続けていれば、顔なじみの人がたくさんいるもので、懐かしくもお互い皆元気な姿で挨拶を交わしあった。そして、私たち「市民賞」の控え室の和室には、これまで準備してきた投票箱や回収袋などが出番を待っている。(この本部には、スタッフとなった通訳も含めいろんな国の人たちでいっぱいだ。)
(アズの大ホール受付カウンターには、市民賞をアピールするために作った私たちの手作りポスターが観客を出迎える。)
昨日のオープニングで上映された「阿賀の記憶」は、前回の映画祭直前に51歳で自ら命を断ったドキュメンタリー映画監督「佐藤真」氏の作品である。彼は以前、ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」で、この山形の映画祭にて優秀賞を獲得し、更にキネマ旬報でもベストの3位になり、他にも芸術選奨文部大臣新人賞を受賞する・・といった、日本を代表するドキュメンタリー映画監督となったのだった。彼は、ドキュメンタリーを現実の素材を再構成した『フィクション』であり、『世界を批判的に受け止めるための手段』と、明確に定義していた。私は、以前この映画祭で何度も彼と出会ってている。アズホールのスクリーンに映し出される“阿賀”・・という村の、そこだけに流れている時間と空間が見事に表現されたカメラの“目”を感じながら、何故彼は自ら命を断ったのか、当時の彼の姿を思い浮かべながら、この「阿賀の記憶」という遺作となった映画から流れる、“阿賀”の時間を共有していた。
私たち「市民賞」の控え室には、テーブルの上に早くも伝言や食券が並ぶ。)
さて、来月にはこの同じホールで、私たち「劇団山形」の公演があるのだ。