主人公となる二人の人物、“青豆”という女性と“天吾”という男性を取り巻く物語が交互に進んでいく。私は、ようやく『1Q84』BOOK2の中盤にさしかかり、その“青豆”と“天吾”が重なり合い、「そういうことだったのか・・!」と、間もなくその結末に到達しようとしていた・・その矢先のこと。昨日の朝日新聞の広告欄を見れば、な・な・何と・・・、今年の四月には、さらにBOOK3が刊行されるというのだ(上)。1000ペーシにも及ぶ『1Q84』は、BOOK2では終わりではなかった・・ということなのだろう。(読み終えている人にはわかっていたのかもしれない。)良く考えてみれば、このBOOK・1、BOOK・2という表現は不思議だった。二巻で終わるのであれば、上巻・下巻・・という表現になるだろうと。まるでマンガ本のようなこの表現。・・・ということは、もしかするとBOOK・4・・さらにBOOK・5もありうるのかもしれないと。間違いなく当初からその予定だったのだろう、「村上春樹」氏の、世に仕掛けていくこのりたくらみの見事さ。
それにしても、死語とならずにその概念が今も残っているのであれば“全体小説”と表現したくなるこの小説の表現の広さ・・とストーリーの深さ・・や、その構造!。この新聞広告によれば、村上春樹氏がこの『1Q84』で文学賞を受賞した時に、こう語っていたという。
「我々は二千年以上にわたって、世界のあらゆる場所で、物語という炎を絶やすことなく守り続けてきたのです。その光は、いつの時代にあっても、どのような状況にあっても、その光にしか照らし出せない固有の場所を持っているはずです。
我々小説家のなすべきは、それぞれの視点から、その固有の場所をひとつでも多く見つけ出すことです。我々にできることは、我々にしかできないことは、まだまわりにたくさんあるはずです。ぼくはそう信じています。」
村上春樹
小説家としての「村上春樹」氏!、まるで宇宙船から地球を見つめているようだ。