私の、スクリーンの中の・・・『1Q84』 |
私の正月は、相変わらず日の出前に目を覚まし、パジャマ姿のままポストから新聞を取り出す。そして、大きな机に向かって新聞を見開きで広げ、まずは見出しやタイトルだけに目を通す。面白ろそうな記事はその場で読むが、何時もはその後、新聞をたたんで溜め込んだ録画を観ることから始める。先日は、まだ始まったばかりの「龍馬伝」、「ガイアの夜明け」、それに様々な映画など。・・・でも、今年の正月は感動的な映画には出会えなかった。ただ、この一本だけは“こころ”に残り、きっと忘れないだろう感動の映画?・・があった。それば、村上春樹:著『1Q84』。勿論、これは映画ではなく、長編小説なのだが、私には何故か、言葉ではなく鮮明な映像として記憶されたようだ。
どんな小説も、少なからずもそうなのだろうけれど、特に「村上春樹」氏が詳細に渡り描写される登場人物は、しっかりと画像として鮮明に思い浮かべることが出きる。背丈、体格、髪型、顔の印象、瞳の印象、服装・・それに色まで。それは人物に限らず、窓から見える風景などの詳細までもだ。それは端的だが、必用な“もの”はしっかりと画面に登場する。私は、BOOK1の冒頭から、映画のスクリーンを観ているような感覚で読み進み・・そして読み終えた。
私は、つい先日、読み終わる直前にこの『1Q84』は、今年の4月にはBOOK3が刊行されると知ってしまったのだが、BOOK2の中盤に差し掛かり、読み進むごとに、完結には向っていないことがありありと伝わってくる。この壮大な“ものがたり”は、残った時間(ページ数)では決して語り終えるはずがないことに気が付くのだ。それでも、BOOK2を読み終わった私は、完結しないもどかしさ・・よりも、むしろ、1.000ページにわたる、BOOK1・BOOK2に詰め込まれた「村上春樹」氏の、“もの”に対する価値観や歴史観・死生観・宗教観・世界観・・といった、壮大な彼の世界を垣間見た思いで感動し、私の“こころ”は充分満たされている。まるで、太古から生・死を繰り返す人間の不思議さや、愚かさ・無常さ・素晴らしさ・・といった、結論や答えなど出ようもない・・でも、魅力的な壮大な世界を、私のスクリーンに鮮明な画像として表現してくれた。(実際に可能だろうとも思えてくる)
でも、“充分満たされている・・・”とはいっても、私は、BOOK3を読まないわけにはいかない。4月刊行だとすれば、即座に図書館に向っても、たぶんこのBOOK1・BOOK2と同じように、私の手元に届くのはたぶん三ヶ月は掛かるのだろう。つまり、私がBOOK3に出会えるのは、今年の七月あたりの、忘れたころにやってくるのだろう。・・・ても、時間がいくら経過しても、BOOK1・BOOK2の画像を決して忘れることはない。