建築の設計やデザインを仕事とする私は、依頼を受けるその建築には住宅や店舗や医院建築などが多いのだが、たまに工場や農業用水のポンプ庫・・などといった、特殊な建築も舞い込んだりもする。でも、私を必用としてくれる依頼主がいる限り、仕事は選ばずに出きるだけ引き受けることにしている。私がまだ20代のころ、県庁職員として勤務していたお陰で、独立してから30年も経ちながら、当時の先輩が現在勤務するある団体を通し、ありがたきかな設計依頼として今も声が掛かるときがある。私は、それがどんな種類の建築であっても、精一杯答えてきたのだが、今回の依頼には、ちょっと面食らってしまった。
まずは現場を見たいと言った私は、戸沢村の47号線沿いのコンビニで担当者と待ち合わせた。そして、私はその車の後ろに付き、誘導されるままに鮭川村の奥へと入っていった。そして、一級河川である鮭川に駆け渡された巨大なあるゲートに案内されたのだ。写真のこのゲートは、下流で河川の氾濫による災害を防止するためのゲート、・・つまり、小さな“電動式ダム”なのである。この、横に渡された赤いゲートは、必用に応じて下に下ろされ川の水の流れをせき止めることが出きる。そして、その赤いゲートを上げ下ろしするためのモーターがコンクリート橋柱の上に幾つか乗せられていて、そのモーターを風雨から守るための器・・つまり建築物がその数のぶんだけ(五棟)あるのだ(写真の青いプレハブの建物。)。
私の仕事とは、その腐食してしまった建築を全て解体撤去し、作り変える仕事・・ということのようなのである。
・・・とは言っても、この建築は川の上にあるために、重機や大きな機械類は使えない。勿論、既製のプレハブをヘリコプターで釣り上げ設置することは容易なことだが、困ったことにその予算が無い!。つまり、手作業によってのみ建築しなければならないのだ。雪下ろしなど出来ないこの建築を、果たしてどんな構造で、どんな方法で、そしてどうすれば人力だけで作れるのか、その基本から考えなければならない。
(この管理用通路が、唯一資材の運搬通路となりそうだ。)
土木工事と建築工事が合体したこの建造物だが、重いゲートを支え、水圧にも耐えられるコンクリート橋柱・・とは言っても、その上に乗る建物の重量を支えられるかを無視して建築は出来ない。昭和52年建築というこのゲートの当時の膨大な構造計算や図面から、それらの資料を探し出し、クリアーさせることは容易なことではない。
そんな資料から、当時の技術者の深い思いを感じながら、他の仕事と交互に、私は今、33年前の図面とにらめっこをしている。
(めったに見られないこの建築の中にご案内:そこにはこんな巨大なモーターが入っている。下)