“トキ”の死・・・そして“クジラ”・・“イルカ”・・“マグロ” |
アカデミー賞の「長編ドキュメンタリー賞」を受賞したという、和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描いた米ドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』。太地町の入り江に追い込まれた「イルカ」は、モリで突き刺し殺され、一面「イルカ」の血で赤く染まる。勿論、この映画をまだ観ていない私だが、その1部の光景を今日「YouTube」で見た。一見、残酷な光景ではあるが、私はこれまで、家畜が喉を欠ききられ食肉にされる生々しい光景や、屠殺場で牛やブタが奇声を上げ、暴れながらも殺されていく光景など、これまで数え切れないほどのドキュメンタリー映画を観てきた。その「YouTube」の動画で、この『ザ・コーヴ』の監督に、「イルカ」は、「牛」や「ブタ」と何処が違うのか・・という質問をしていた。彼は、「イルカ」は知性が高いから殺してはいけないのだと答えていた。だがその理由では、裏を返せば、知性が低い動物、極端に言えば、頭のいい人間は生かすが、頭の悪い人間は殺しても良い・・ということになりかねない。盲導犬を務めるほどの知性を持つ「犬」も、中国や韓国など、古くからの農耕社会には「犬食文化」は今も残る。「牛」は、特別な動物だといって牛肉を食べるべきではないと、国連などでも主張するインド。豪州は、野生動物であるカンガルーを年間に数百万頭捕獲し,食肉やペット(ドッグ)フードとして販売していたり、犬に似た「ディンゴ」は害獣だといい、絶滅させようとしている。知能が低いと食べて良いのか、知能が高いと食べてはいけないか?・・については、とどのつまり宗教的論争となり決して収束しないことだろう。
それとは別に、先日、反捕鯨団体「シー・シェパード」の船長が、南極海で日本の捕鯨調査船「第2昭南丸」に、勝手に乗り込んだと言う「艦船進入容疑」で逮捕された。「シー・シェパード」は、1977年に「グリーンピースは軟弱に過ぎる」として袂を分かち、この、環境過激派の筆頭格とされる組織を設立するに至ったのだった。それにしても、捕鯨船やその乗員に向けて発砲したり、捕鯨船に爆薬を仕掛けたり、それに抗議船を衝突させて捕鯨船を撃沈させるなど、その手段を選ばない不法な暴力手段はあまりにも過激だ。
私が子供のころ、親父が好きだったということもあって、よく冷凍の「クジラ肉」を買いにいかされ、私もあの赤味の刺身をよく食べた記憶がある。確かに、調査捕鯨によってスーパーで今も「クジラ肉」はよく見かけるが、私はあまり食べなくなった。「クジラ」が、知性が高い・・かは別として、確かに「シロナガスクジラ」や「ホッキョククジラ」は、わずか数万頭と数が少なくなりつつあるというが、この、調査捕鯨の対象となっている「ミンククジラ」は、およそ44万頭と、その数は豊富だという。それでも商業捕鯨は禁止されている。200カイリ(排他的経済水域)外での漁業は国籍を問わない・・とはいうものの、「クジラ」を食する文化を持つ日本やノルウェーなど、しかも、冷凍技術を持ち遠洋漁業ができるシステムを持つ国は、およそこの日本だけだという事も事実のようだ。
サーカス・動物園・家畜・酪農・屠殺場・・・などなど、“生き続けよう”と、日ごと繰り返される“にんげん”の営みの中に、その残酷さは常に付きまとう。“いのち”を語りながら「クジラが可愛そう」・・といって捕鯨に反対する一方、永年の昔から生存する「ゴキブリ」を、スリッパで叩き潰す私たちのさまざまな“にんげん”たち。この地球人“にんげん”は、遠い昔から知性の高い動物を殺す・・・どころか、身勝手な理由による戦争によって、“ひと”を殺戮する歴史をも繰り返してきた。近年は、「正義の戦争」を大儀名文に“ひと”を殺す。この、繰り返しても繰り返しても変わることのない”身勝手さ”と”残酷さ!”・・でも、それが“にんげん”そのものなのかもしれない。
とりとめもない文章を長々と書き続けながら、私は、勿論、倫理論や宗教論で論破できるはずもなし、何処かに向って声高に批判しよう・・などと思っているわけでは決してない。ただ、そんな“にんげん”と共に、ひたすら食べ・・そして生きようとする「肉食動物」や「菜食動物」を横目に、豚や牛や鳥など、私は、今も好んで動物の肉を食べる。「私の心の内では子羊の命の貴重さは人間の命の貴重さにいささかも劣るものではない」・・という、菜食主義者だった「マハトマ・ガンディー」の言葉に感銘しながらも・・・、更に、私が食する動物を「殺す」という一番いやな部分を他人に任せているのだ!・・ということも承知しながら、やっぱり私は肉を食べる。・・・せめて、それらの“いのち”に感謝しながら。
私は、捕鯨反対者の「あんな美しい動物“クジラ”を食べるとは許せない!。」という言葉をネットで目にした。でも、私たちが食する「動物」は、・・・みんな美しい!。
私は今日、ひたすらそんなことを考えながら、千歳山の懐にいた。