「祭祀」・「祭礼」の形は宗教などが絡み、世界各地で様々な“カタチ”があるだろうけれど、日本で危険な行事として知られる、大阪府岸和田市の『だんじり祭り』や、この、長野県諏訪地方で行われる『御柱祭・木落とし』と、これまで幾度も負傷者や死者を出しながらも、“ひと”は、どうしてこうも命を掛けてまでもお祭りを続けるのだろうか?。
(上下、二枚の画像はネットから)
建築を建てる時に、最初に行われるのが地鎮祭。そのときに祭壇を設置するために、周りに四本の竹を立て、"結界"をつくる。地鎮祭の神話的表現とも考えられているこの『御柱祭』。諏訪大社社殿の四方に建てて神木とするその御柱の大きさはその比ではない。私は、長野の旅の最後に、想像を遥かに越えていた「下社秋宮」の巨大なその“御柱”の足元に立ち、天に伸びる“もみの大木”を見上げていた。
(右奥に立つもみの大木が御柱)
七年に一度取り替えられるというこの御柱は、「上社本宮」・「前宮」、「下社秋宮」・「春宮」の各4本、つまり、4×4で・・16本を切り出し、建て替えるという、壮大で勇壮なこの大祭だが、何と言っても見どころはあの『木落とし』だ。
10トンを超えるという“もみの大木”に、一番前からたくさんの人がまたがり、何と傾斜35度という急斜面を、カーボーイが荒れた牛を乗りこなそうとするかのように、丸太と共にまっ逆さまにスベリ降りる。そして、振り落とされても止まることが出来ず、転がり続けるその傾斜。そして、最後まで上手く乗りこなすその姿は、まるで勇敢な“ロディオ”のようでもある。
私は、「下社秋宮」の近くにあるという、その「木落とし坂」の場所を探し当て、車を降りその頂上に立ってみた(上)。その頂上付近は思ったよりも以外に狭いが、下を見下ろせばそれだけで怖さを感じる(下)。それが、巨大な10トンを超える巨木にまたがり落ちていくのだから、その場で精一杯イメージしてみるも、私にはその怖さは想像も出来ない。勿論それは、ころげ落ちるその丸太から直接体に伝わる振動や、その落ちる速さなど、実際に落ちる丸太と共に経験した人でなければ、その怖さはわからないのだろう。まして、振り落とされ、転げ落ちる自分に10トンの丸太が襲い掛かれば命はない。
(この木落とし坂は、以外に狭く、真下には直ぐ車道が走る。)
「祭(まつ)る」の語源を、民族学者「折口信夫」氏は、「たてまつる」に求め、『遠野物語』などで知られる同じ民族学者「柳田國男」氏は、「まつらふ」に求めているいう。神の出現を“待つ”ことであるというこの「祭(まつ)る」・・は、命を掛けてまでも何故にこうも人を引き付けるのか。それは、「精神の浄化作用」?、つまり、一生を生き抜く人間にとって大なり小なり必用な、文学や芸術に感じるのと同じ、「カタルシス」・・であり、「柳田國男」氏の言う、まさに「ハレとケ」(晴れと褻)といった日本人の伝統的な世界観なのだろう。