画家:「黒田清輝」作・・『湖畔』 |
信じられないほどの猛暑の中、私の車はようやく、「岩手県立美術館」へ到着。会場は、そんな平日にも関わらずたくさんの人たちで賑わっている。私は、「Ⅰ・パリ留学、そして転進」・「Ⅱ・パリからグレー=シュル=ロワンへ」・「Ⅲ・白馬会の時代」・「Ⅳ・文展・帝展時代」と、時代順に四つに分類された展示を順追って、まるで人間「黒田清輝」の生き様を追うように、ゆっくりと観て回った。
彼は、法学を修めるために留学したパリだったが、そこで出会った画家たちに画心を掻き立てられ、アカデミスムの画家、「ラファエロ・コラン」に入門することになる「黒田清輝」。会場に足を踏みいれた私は、まずは、西洋画学習の基本だという、当時繰り返したくさん描かれた“人体デッサン”のその精密さと、並外れたデッサン力に驚かされる。(左:「椅子による女」1889年。絵は全て公式カタログより)
後の彼の絵は、当時、ヨーロッパの絵画界の大きな芸術運動であった、まさに「印象派」的な画風を感じさせるが、1894年に描かれた、「昼寝」(下)というこの絵のように、終始淡い光の表現を楽しみながらも、その筆のタッチは、いかにも力強い。そして間もなく登場するのが、この絵の三年後に描かれたあの「湖畔」なのである。
この、「湖畔」という絵は、いかにも涼しげで、遠くを見つめる瞳と、画面に流れる静かな奥行きと透明感を感じさせる。更に、淡い色合いがそう感じさせるのだろうか?、いかにも優しい筆のタッチが印象的なこの絵は、他の「黒田清輝」の力強い一連の絵とは、同じ作者とは思えないほどに印象が違って見えた。(下:「昼寝」1894)
「私の23歳の時で、彼が湖畔で制作しているのを見に行きますと、其処の石に腰掛てみてくれ・・と申しますので、そう致しますと、よし、明日からそれを勉強するぞ・・と申しました。雨や霧の日があって、結局一ヶ月ぐらいかかりました。」
・・とは、この絵が誕生する時の照子夫人の回想なのだという。湖畔の風景に溶け込む夫人と、一ヶ月間ひたすら向かい合いながら、黒田は、何を思い、何を感じながら筆を運んでいたのだろうか?。結局、この時の・・この絵が、傑作となって、画家:「黒田清輝」の代表作となったのである。