“死刑制度”・・に思う。 |
先日の8月27日、東京拘置所内の刑場を報道機関に初めて公開された。(左、説明が無ければ、一見、刑場だとは思えない。)
なぜ゛公開されたのか?・・と思えば、死刑制度の廃止が持論の千葉景子法相は、死刑制度の議論を深めてほしいから・・という。平成21年5月には「裁判員制度」が始まり、私たち庶民と言えどこの“死刑制度”について、考えざるを得なくなったのだから、確かに公開されたのは正しかったのだろう。
・・がしかし、そこには肝心のロープ(絞縄と呼ばれる)はなく、その下の地下室は公開されなかった。それは、死刑囚が生命を絶つきわめて厳粛な場で、死刑囚やその家族、刑務官などに与える影響を考慮したのだ・・・というが。
公開されなかった地下室においては、床には、死刑執行に伴う汚物などが流される鉄格子状の排水口があり、それに、確かに“絞縄”はいかにも生々しい。だが、人が人の命を奪う究極の死刑制度だからこそ、全てをあからさまにし、しっかりとした土台に立った議論が行なわれるべきではないか。死刑制度の廃止の立場を取る社民党前衆議院議員「保坂展人」氏は、コンクリート打ちっぱなしの地下室は、まさに「死の空間」、「刑場の公開」と呼べるかどうかは、この地下室に入ることが出来るかどうかによって決まる」と述べているが、私も全く同感である。
この刑場には、画像だけでは伝わらない様々な装置が存在する。その一つは、ウインチである。それは、死刑確定者が落下した時に徐々にスピードを落とすようにする装置であり、落下時に頸部切断等が発生しないようになっているという。つまり、刑を受ける者の体重と落とされる長さによっては、首が切断される恐れがあるのだ。現在、死刑制度のある国の大半が、非常に人道的で確実な死刑執行方だとされてこの絞首刑を採用している・・・というが、カナダでは、絞首刑においてほぼ首が切断されてしまった「アーサー・ルーカス」を最後として、結果的に、絞首刑は廃止された例もある。
アメリカ合衆国の数州のみだという、電気椅子での処刑といえど、1980年代、複数の電気死刑失敗事例、つまり、アメリカにおいて被執行者が即死せず数回の電撃にさらされた数件の事例もあり、「残酷で異常な刑罰」と批判された。その他の銃殺や薬物注射やガス室など、人が人を殺す処刑に、「残酷な刑罰」でないものは一つもない。
1980年代における四大死刑冤罪事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)のように、冤罪を生む危険性もあろう。更に“死刑”という制度が、犯罪抑止に繫がっているかは証明されていないばかりか、この国の昨今、「死刑になりたくて人を殺した」という犯罪さえ現れ始めた。つまり、社会構造の”ひずみ”と“犯罪”との関係を無視は出来ないだろう。それに贖罪のために犯人を国家によって殺すことが、犯罪被害者及びその遺族にとって問題解決となるかについてさえ、議論が尽くされているだろうか。
更に、死刑制度にっいて、世界を眺めるとき・・・・、
法律上死刑を廃止している国・・・100カ国
事実上死刑を廃止している国・・・30カ国
2006年度中に死刑を執行した国・・・25カ国
国際的には死刑制度は廃止の方向にあり、経済先進国で死刑制度を保持している国は・・・日本と米国のみなのである。
「相対的応報刑論」なるものは、私には難しすぎるし、「廃止論者」を肩書きに、死刑制度反対を声高に叫ぼうというのではない。
ただ私は、あの、おぞましい死刑執行の数々の映像が蘇る時、家族を殺され、八つ裂きにしたいだろう、そんな遺族の思いを精一杯受け止めながらも、でも、やはりどんな理由があろうとも、「人間が人間を、決して“殺してはいけないのだ・・!」と、”司法“自らが示すことは出来ないだろうか・・と。それこそが、犯罪抑止につながらないだろうか!。あの、惨い「光市母子殺害事件」での死刑判決を思い出しながらも、死刑の代わりに、仮釈放の無い「終身刑」にて、生涯生きて償い続け、犯罪学に役立てる方法はないものだろうか・・・と。
民意が、「場合によっては死刑もやむを得ない」・・が81,4%だというこの国日本。国民感覚を司法に反映させることの重要性は勿論だが、少なくとも“死刑”・・とはどういうことなのかを知るためにも、その刑場は全て公開され、それからしっかりとした議論を尽くされていくべきだろう。