“超写実絵画”・・という世界! |
“デッサン力”とか“描写力”とか絵の“美しさ”といった軽さとは違う、・・あるいはそれを超え到達しただろう不気味なほどの“何か”が、パワーを持って伝わってくる。カメラの一眼で写し撮った画像とは明らかに違う、描き上げた画家の強い意志・・といったものや、被写体が確かにそこに“存在”することの意味・・など。私が“不気味“と感じたものが、もしかすれば、それが“美“なのだ!・・と、私たちに静かに語りかけているかのようだ。
絵画は、透視画法やその描写力において、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」や「フェルメール」など、イタリアを中心とした14~15世紀のルネッサンス期に、既にその技術などはほぼ完成している・・・と言われる。いみじくも同じ日、私は“フェルメール”の『地理学者』という一枚の絵と向き合った。電気や写真が無い時代、なにげない“ひと”の営みのなかから一瞬輝く“いのち”を克明に描ききった見事さに圧倒される。でも、先の同じ”写実”といった“超写実絵画”には、同様に比較できないほどの、全く別の“美“を追求しているかのように思えた。
先日、NHKの「日曜美術館」で、日本の写実絵画を牽引してきた画家「野田弘志(75歳)」が、北海道のアトリエで「超写実絵画」と向き合う姿を見た。彼は、この世に生まれるという“生“、そしてその“存在“、そして消え行く“死“は、全く同じものである・・と。それをどれだけ見つめられるか、それをどれだけ絵の中に表現出きるか・・なのだと語っていた。絵と向き合う彼の姿、そのアトリエには、張り詰めた緊張感が漂ってる。“もの“の真実・・、いや“本質“を見抜こうとする「野田弘志」氏の強い精神性に圧倒される。(下:野田弘志:画『摩周湖・夏天』1999年。ホキ美術館図録より。)