「第一次世界大戦」が生んだ・・・“ダダイズム” |
「ダダ」の運動は、「第一次世界大戦」によって強いられた悲劇的な犠牲に対する反発が発端であったという。戦争の愚かしさやむなしさから生まれた既成概念を否定しようと叫ばれたのだそうだ。つまり、既成の芸術の様々な意味や価値を解体し、芸術を特別なものと位置づけているその価値観こそが、破壊されなければならないというのがこの「ダダイズム」だったのである。
「写実主義」から「印象派」・「バルビゾン派」・・そして「ダダイズム」から「シュルリアリスム」へと移行していく、歴史が辿った芸術の世界。「ダダ」の美術の形体、概念、その姿勢に言及する事なく、20世紀後半の美術を理解する事は不可能である・・とも言われる。
家庭を否定するまでにいたるような嫌悪のあらゆる産物、それがダダである。
破壊行動へむけて全存在を拳に込めた抗議、ダダ。安易な妥協と礼節との恥ずべき野合によって今日まで排除されてきたあらゆる手段の再認識、ダダ。創造不能者たちのダンスである論理の廃棄、ダダ。われわれの下僕たちがあらゆる価値づけのためにつくりあげた階級制度社会方程式の廃棄、[・・・]ダダ。記憶の廃棄、ダダ。考古学の廃棄、ダダ。預言者の廃棄、ダダ。未来の廃棄、ダダ。自発性によって直接つくられるそれぞれの神への議論の余地ない絶対的信仰、ダダ。
(右:「ジョルジョ・デ・キリコ」『ギヨーム・アポリネールの予兆的肖像』1914。文章共、図録より。)
“ダダイズム”に代表される「キリコ」のこの一枚の絵は、抽象画をはじめ、何でもありの現代だからこそ違和感なく見えてしまうが、当時、まだ「写実主義」からようやく「印象派」へと表現されるようになって間もない時代、かなり奇異に見えたことだろう。後に、「シュルリアリスム」を経て「キュビズム」に至る芸術を辿る時、戦争を繰り返す人類が決して避けては通れなかったのがこの「ダダイズム」だったのかもしれない。
先日、東京は「国立美術館」の『シュルリアリスム展』で、いずれ「シュルリアリスム」に移行していく、1910代から20年代といったそのたった十数年における“ダダイズム”の世界を、私は、リアリティーを持って体感する事が出来た。
(さらなる『シュルリアリスム展』については、後日又このブログで)