『優勝軒・鳥居が丘店』の・・“つけ麺” |
そして、ようやく追われていた仕事にも追いつき・・そして追い越した瞬間、季節が変わったのだ・・と、改めて肌で感じ、徐々に色付きはじめているに違いない千歳山が、急に恋しくなる。
そんな時は、気持ちにも時間にも少々余裕が出来て、急に温かくて美味しいものが食べたくなるものである。ならば、すでに8月下旬に山形市内にOPENしていた、是非一度は食べて見たかったラーメン店があり、行列を作ると聞いていたので昼時間をずらして入店してみることにした。その店とは、あの池袋「大勝軒」のお弟子さんが開店させた、「茨城大勝軒」系『優勝軒・鳥居が丘店』である(左)。
「大勝軒」・・と言えば、“つけ麺”を生んだ、あの「山岸一雄」氏(左の顔写真の右側)。彼は、2005年に病気悪化のためや、東池袋付近の再開発もあって、2007年3月をもって一度は多くの人たちから惜しまれながら閉店に至る。だが、その後連日に渡って多くの人々から復活の要望が寄せられ、2008年1月、旧店舗から約100メートル先の所に再オープンしたのだった。
この再オープンに際し、地元住民の人々や全国から駆けつけたファンによって開店前から長蛇の列となり、用意した400食は、6時間も待ってようやくありつけた人を最後に完売したという。
『優勝軒・鳥居が丘店』は、行列で外で待つ人たちの日除けのために、入り口前に白いテントが張られていて、更に冷たい飲み水がサービスされる。そして、入口で食券を買い求め、ようやく店内に入る・・といった具合だ。この日は、時間も昼3時近くとあって、行列こそ無かったが、次から次と来客が絶えず、20数席の客席は何時も満席。私は、早速『優勝軒』の看板メニューの“つけ麺”を味わう(下)。
そんな“つけ麺”を生んだ『大勝軒』の「山岸一雄」氏は、音楽鑑賞が趣味だといい、特にジャズが好みで、一時期オーディオ機器に凝っていたこともあるという。(下、昭和36年に開業した、その当初の『大勝軒』:ネットから)